« 2012年5月13日 - 2012年5月19日 | トップページ | 2012年7月22日 - 2012年7月28日 »

2012年7月8日 - 2012年7月14日

2012年7月14日 (土)

死と「老い」の準備

(注)老いと「死の準備」ではありません。

先日、中学時代の同級生の訃報を、別の同級生から聞いた。同級生ということは、わたしと同い年ということだが、そう考えると、まだまだやりたいこと、やるべきことがあったはずだろう。だから、とても残念だっただろうし、わたしも悔しい。

50歳を超えて、緩慢ではあるが、肉体的な衰えを感じはじめている。第一、徹夜ができなくなってきた。夜12時を過ぎると眠たくなって、仕事にならない。それから、老眼がだいぶん進み、スマートホンの画面は近視眼鏡をかけているととても見づらくなってしまった。しかし、いちいち眼鏡を外すも面倒で、電車などでは眼鏡を頭にかけて画面を見たり、本を読んだりしているのだが、降りるときに眼鏡をおろすのを忘れている。そして、電車を降りてから眼鏡をかけていないのに気がつくのだが、頭に眼鏡を刺しているのは忘れているので、少々狼狽してしまう。

しかし、この年になって、昔よりも、深くじっくりものを考えるようになった。また、研究上でも、生活上でも、いろいろなものが見えてくるようになった。月曜のⅠ限に「日本史」の講義をして、Ⅳ限に別の所に移動して「宗教学」の講義をすることなど、若い自分にはとてもできなかったが、体力的にも大丈夫だし、見識や知識の幅はそれなりに広がっている。

だから、わたしという人間全体の衰えは余り感じない。しかし、それが、帰って行けないのかも知れない。確かに、節制と運動を、怠っている。

また、実際の年齢と主観的な年齢が、近頃、まったく乖離してしまったようで、困っている。自分ではまだ相当に若いつもりでいるのだが………。それでも、急に心臓が止まったり、頭の血管が切れてしまうことがじゅうぶんあり得る年齢になっていることは、間違いのない事実なのだ。

さて、自分のことばかり書きすぎた。

ここでも書いたが、大学の「宗教学(世界の宗教)」の講義で、自分と親しいひとの死について質問することがある。まず、「親しい人が亡くなったら、その人のことをずっと覚えておきたいか」と問うと、ほとんどの学生が「覚えていたい」と答える。次に、「自分が死んだとき、自分のことを親しい人にいつまでも覚えておいて欲しいか」と問うと、学生に逡巡や同様が見られ、答えは二分されていく。

「老い」の準備をはじめる年齢になると、顔見知りの先輩や同級生、そして、後輩までも、ちらほらとなくなったという知らせを受けることがある。しばらく会っていない人でも、その訃報を聞くと、何日間か昔の若かった頃の笑顔が浮かんできてしかたがないことがある。また、死因や残された家族のことが無性に知りたくなるのは、自分にも同じ心配があるからだろう。生きているときにはほとんど忘れかけていてたのに、死んだことを知ると、妙に気になったり、無理に思い出さなくても面影が浮かんでくる。

わたしは、薄情な人間なのだろうか。

それにしても、同年代の死は、日常生活をいきなり断ち切られるところから、はじまって、瞬時に終わってしまうのだ。それは、まさに、恐怖以外の何者でもない。

だからこそ、「老い」の準備からはじめたいと思う。目前に、山のようにある仕事を一つ一つかたちにしていこう。そして、家族や友人を慈しもう。何人かに、愛情のすべてを注げば、わたしの部分のなにがしかは、きっとどこかでかたちを変えて、受け継がれて行くに違いない。それは、わたしの名前が忘れられないでいることよりも、ずっと重要なことのように思う。

ひとの死を忘れないのは、その人のためではなく、自分のためだ。そして、自分のことをいつまでも覚えておいて欲しいと思うことは、究極のエゴではないかと思う。その意味で、銅像を建てたりするのは、ひとの死としては醜悪であると思う気持ちを持ち続けたい。

さて、「老い」の準備で、具体的に、何をしようか。それは、これから考えていくことだ。しかし、その目標は、もう決めてある。

自分の肉体は地上から消滅し、自分の名前も神隠しのように薄くなり、やがてそれを覚えている人が地球や宇宙に存在しなくなっても、ひとかけらの息吹を、歴史にしのばせたいと思っている。

C君………。それができなかった,あなたのことは、わたしとあなたの友人が覚えておくよ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年7月13日 (金)

『高校倫理からの哲学』、刊行はじまる。

この2年近く関わってきたあるシリーズ本の刊行がはじまりました。

         

本書は、高等学校で倫理を学ぶ学生や大学の初年次教育、また、高等学校等で倫理を教える先生方を対象に書かれた本です。

この2冊のなかに、わたしは、それぞれ以下のコラムを書いています。

第1巻「生きるとは」 には、
       「身体と暴力」
別 巻「災害に向きあう」には、
       「他者の苦しみにどう向きあったらよいのだろうか
                 ―阪神・淡路大震災の経験から―」
       「震災とデマ、ナショナリズム」

わたしの専門は、歴史学や宗教学で、倫理学や思想研究ではありません。しかし、ある共同作業の場でそのような研究分野の研究者と出会い、多くのものを学ばせてもらいました。本書はその成果でもあります。

それで、いささか専門外のわたしは、「本文」を執筆しているわけではありません。わたしのこのプロジェクトでの役割は、上述の本書の読者と近い目線で専門的な内容に意見を述べ、哲学から他の学問への橋渡しをするというものでした。それで、その本文に関わるコラムをいくつか執筆した次第です。それから、別巻の索引もつくりました。

本シリーズの今後の刊行予定や概観については、以下のURLをご参照下さい。

http://www.iwanami.co.jp/moreinfo/028541+/top.html

これからも、第2,3,4巻と発刊されます。どうぞ、みなさん、一度手にとってご覧いただければと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2012年5月13日 - 2012年5月19日 | トップページ | 2012年7月22日 - 2012年7月28日 »