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2012年1月15日 - 2012年1月21日

2012年1月20日 (金)

モラルによる戦略的抵抗運動について

先日、本務校で全学対象のオムニバス講義(すべての学部の学生(主に1回生)を対象にして、すべての学部・機構の教員が1コマずつ担当する講義)で授業をする機会があった。わたしの講義の題目は、

辺境地域を見つめる
     ―沖縄・本土関係におけるモラルとコミュニケーション―

シラバスの都合で題目を提出したのはちょうど去年の今頃で、それから1年後の講義だった。1年も経つの最初に何を話そうと思っていたのか覚えていない。また、今回は、特に昨年の東日本大震災のこともあり、「辺境地域を見つめる」講義を準備しながらも沖縄のことだけではなく、東北の被災地のことも頭から離れなかった。

辺境とモラル、そして、コミュニケーション──。一見結びつきようのないテーマだ。それは、題目提出の依頼が「地域」「モラル」「コミュニケーション」のどれかを含むものでとのことであったからだ。3つのうち、1つでもよかったのだが、どういうわけか(記憶にないが…)、3つのテーマを全部盛り込んでしまったからなのだ。でも、それなりに、一生懸命考えてみた。

辺境とコミュニケーションは比較的結びつく。辺境は中央(国家や政府、あるいは、首都)から遠く離れているので、コミュニケーションが欠落しがちだ。中央の意図や命令が充分に伝わらないから、国家や政府は辺境地域にはより強烈な手段で自らの意思を伝えようとする。こっや政府が辺境地域に対して強圧的なのはこのコミュニケーション不全が原因だ。もっとも、このような命令伝達をコミュニケーションと呼んでいいものか、まようところだ。

他方で、「辺境は、他の地域の辺境に最も近い」ともいえる。そこで、国境を越えたコミュニケーションの可能性が生まれる。非公式なかたちで情報だけではなく、ひとやモノは、国境を越える。オーラルなコミュニケーションだけではなく、モノを介したコミュニケーションの可能性も本当に魅力的だ。

さて、問題は辺境地域とモラルの関係だ。

歴史(国家が自己正当化のために創造した“正史”)を見ると、辺境地域ではコミュニケーションだけではなく、モラルの欠落がしばしば指摘されている。よく「風俗改良」のための規則や命令、または、その地の人士も巻き込んだ運動が展開されるのは、中央が文明の立場に立ち、辺境地域を道徳的にも非文明、あるいは、半開であると見なす構造のもとに成り立っている。

しかし、実際に辺境地域といわれる場所を訪れると、モラルはちっとも欠落していないどころか、かえって都会よりもずっと道徳的である。よそ者に対して排他的な側面はあるが、それでもこちらが礼を尽くせば、それに礼をもって応えることが当然であるかのような振る舞いは、感動的ですらある。そう。辺境地域でのそのような振る舞いは、そこに残されている「手つかずの自然」とともに、「近代化のなかで失われてしまった人情」を、近代化された都会人たちはその場所に「発見」したりする。

でも、これは、自らを文明の立場に起きつつ、辺境地域を後進性に戦略的にとどめることによって、その後進性を消費し、癒されたり、慰められたりする、実にいやらしい近代人の姿でもある。インモラルであるという評価と道徳的であるという評価が同居するこのようなダブルバインドなまなざし。──それをたった90分の講義で1回生にわからせることができるのか。

ここまでは、わたしでなくても、他の誰かが言いそうなことだと思う。

首里城の入口(やや不正確な表現か)に「守礼門」がある。この「守礼」は琉球王国がとってきた外交戦略だということは、たぶん異論がないだろう。これは、たとえば当時先進国であった中国に対して、その辺境に位置する琉球王国が中国の使節団に礼を尽くせば、中国の皇帝もその礼に充分に応えるということだ。

さて、講義でも触れたが、昨年末に起こった普天間基地移転の伴う環境評価書の姑息な送付問題について、「反対派」と報道されていた市民の方々の礼を尽くした抗議は、意図はしていないだろうか、正しい戦略ではなかったかと思う。沖縄の基地の場合も、わたしたち本土の人間は、ひとごとのように「沖縄で、暴動が起きないのが不思議だ」などといったりする。おなじことが、実は昨年の大震災でもいわれたのではななかったか。世界が「日本人の秩序正しさを賞賛した」といわれる。しかし、これも、視点を変えれば、非常に戦略的な行動ではなかろうかと思う。

何が戦略的か。横暴な国家権力に無秩序な暴力で応えるのではなく、礼節をもって接し、悪までもことばにより説得をする姿勢は、周囲に共感を呼ぶ。そして、相対的に国家権力の暴虐さを一層引き立てることになりはしないか。沖縄の人々はたしかに身体を張っている。しかし、一線を越えないでねばり強く礼をもって言葉で接している。激しいことばではなく、語りかけることを続けている。

辺境地域は地理的な辺境だけではなく、国家・社会の構造のなかに観念的にも存在している。わたしと対峙した学生たちも辺境的存在なのだ。1回生という辺境。また、これから社会に出ても、「20代で警察署長」みたいなごくごく一部のエリートを除いて、だれでも社会、あるいは、会社の周縁部、辺境地域に組み込まれるのだ。

学生たちは、もしかすると、道徳的にふるまうことが教師や大学、あるいは、社会に屈することだと考えているのかも知れない。わたしも,かつて同様だったような気がする。しかし、自らの意思を強く持ち、自立した思考をしていれば、そのように「権力」や「当局」に容易に吸収はされないだろう。その上で道徳的にふるまうことは、いかに仲間や味方、共鳴者を増やし、「力」をもつものを脅かすか。そのような例は、わたしがこれまでに接してきた実在の,また、歴史のなかに登場する沖縄の人物像のなかに多く見られる。

例えば、仲里朝章の手記を読んだときに、占領者であった米国のキリスト教信仰や「偉人」たちのことに触れている多数発見した。そして、その理由を考えた。そして、思い至ったのは、彼が「すばらしい米国(人)」や「あるべき米国(人)」を強調するたびに、実際に沖縄にいて傍若無人にふるまっている米軍や米国人たちの非礼が自然と浮かび上がってくるのだ。モラルを強調し、モラルに基づいた行動をすることは戦略的な抵抗運動でもある。

「孤高」ということばがあるが、それらの人びとは「孤高」でありながら、しかし、決して孤立していない。この世界のありとあらゆる辺境地域や構想的な辺境に位置している人びとからまなんだことは、このような「モラルの戦略性」であり、そこに展開される共感や共鳴といったコミュニケーションの有意性であった。

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2012年1月17日 (火)

阪神大震災から17年〜「縁」から「絆」へ。そして、「絆」から「縁」へ。〜

あの17年前の阪神大震災とその後の一連の出来事で、わたしが学んだのは、ひととひととが偶然に結びあう「縁」の強さ儚さ、そして、広がりと可能性であった。被災地の復興を市民が担っていく過程で無数の「縁」が結ばれていった。

そして、その「縁」は、後のナホトカ号重油流出事故(1997年)や中越地震地震などの被災地につなげられ、そして、そこで新たな「縁」が結ばれていった。

今年の「1.17」が東北でも祈念されたことは、「絆」というよりも、阪神と東北が震災と復興への「縁」で結ばれたのだということを明らかにしたように思える。

阪神大震災で目の当たりにした途方もない量の瓦礫と倒壊して放置された家屋やビル。その傍らに添えられた花と、俯いて、ただ、どぼとぼと歩く人びと。被災者が抱いている悲しみや苦悩を理解することは、本当に難しい。けれども、すくなくともわたしはこの世の中にこのような理不尽と、それによってもたらされる苦しみや悲しみがあるのだということを知った。

だから、「縁」をつないでいけるひとになろうと思った。ひとがひとを助けるということの意味を必死に問うた。また、ネットワーク論を学び、ひとを助ける仕組みを解明しようとした。その営為はまだ途上だけれども、その過程で沖縄研究へと「縁」は結ばれていった。

「絆」も悪くはない。しかし、それは、関係性をある場所に集約し、縛りつけることになりかねない。人びとの膨大な意志を集約し、縛りつけるからこそ力になる。そして、その力が必要な時は必ずある。しかし、その時が過ぎれば、それらの力を別の何かにかえたり、別の所の振り向ける必要がでてくる。そのときにこそ、「縁」が必要なのだと思う。

だから、今一度、苦しんでいるひとは他にもいるという、単純な真実を再確認したい。そして、自分はそれら苦しんでいるひとと思いつつ、自分の宿命として結ぶべき「縁」をみうしなうことなく、自分の寄り添うべき対象にこれからも寄り添っていきたい。17年目の「1.17」の日に、改めてそう思う。

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