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2012年9月2日 - 2012年9月8日

2012年9月 8日 (土)

沖縄・グローバル〜それは、だれのものでもない。〜

今月の福音と世界 2012年 09月号 [雑誌] は、沖縄返還40周年の特集である(「特集=沖縄の歩んできた道、歩まされた道─施政返還40年①」)。

その特集には以下の4本の論文が掲載されている。

  1. 内間清晴「復帰40年を迎えて─沖縄が歩いてきた道、キリスト者が歩んだ道─」
  2. 竹内 豊「星と十字架─一信徒の見た宣教師解任事件─」
  3. 神谷武宏「『普天間問題』から見える『日本の問題』─ひとつになれないニッポン─」
  4. 金井 創「辺野古新基地建設阻止行動」

執筆者のプロフィールを見ると4名はそれぞれ現在沖縄在住であるが、半数の2名は沖縄県外の出身である。大学進学や牧師としての赴任などをを契機に沖縄県外から沖縄にやってきたひとびとが、沖縄の問題を重く背負いながら沖縄県民と共に生きていることが、文面から伝わってくる。

北海道出身の金井氏は日本キリスト教団佐敷教会に牧師として着任したときに「あなたはまさか沖縄病ではないでしょうね」と問われたという(p44)。そして、「沖縄を背負って生きて下さい」とも言われたという(p45)。愛知県出身の竹内氏は、琉球大学在学中に沖縄で洗礼を受ける。その時、彼にバプテスマを授けたのは1979年6月に宣教師としての一切の資格を剥奪されていたW・T・ランドール牧師であった。竹内氏の論は、このランドール牧師の「宣教師解任事件」を軸に展開している。

これら2本の論文を読んで、改めて、“沖縄・グローバル”を実感した。沖縄には、「沖縄を背負って生きている」県外出身者がいる。そして、沖縄在住の米国人のなかにもごくまれな例として、ランドール牧師に様に「沖縄を背負って生きている」方もいる。もちろん、それらとは正反対であったり、違った形で沖縄で暮らす多様な人びとによって沖縄が構成されているのだ。それと同時に、沖縄のキリスト教・教会もまた、もはや、ローカルなそれではなく、グローバルな存在である。

そういう前提に立ってば、沖縄キリスト教史は、もはや沖縄人たちだけのものではない。しかし、こうした言説は、沖縄や日本のキリスト教界では受け入れられないのかも知れない。内間氏の論文を読みながら、ふとそう感じた。

沖縄人でないわたしは、これまで10年以上、沖縄に通って文献史料調査や聞き取りを行ってきた。最初は、手探り状態で研究を始めざるを得ないほど、頼るべき先行研究は乏しかった。そのなかで、研究開始当初、教科書のように読んでいたのは、日本基督教団沖縄教区編『27度線の南から─沖縄キリスト者の証言─』(日本キリスト教団出版局、1971年:27度線の南から―沖縄キリスト者の証言 (1971年))であった。

これは、30年以上前に書かれた証言集である。この著作のなかの記述を頼りに史料調査を進めていくと、そのなかにはいくつもの点で実際に原史料から読みとれる「事実」と違う記述があるのに気がついた。この著作は、聞き取りや当事者の手記を中心に記述がすすめられた。その編集史料が沖縄教区資料室に残されている(はずだ。多分。わたしは7、8年前にそれを見た)。こうした経緯もあり、1971年の時点で到達しうる最高点の歴史叙述だったのだと思う。しかし、その時点では発見されていなかった重要な史料(群)や、新聞記事、琉球政府の行政資料、占領軍当局の史料などをみていくと、当然のことながら、戦後沖縄キリスト教史の叙述は訂正されていかなければならない。

しかし、先の内間氏の論文は、特に前半部分は、この『27度線の南から』の歴史叙述をほぼ無批判に踏襲している。

例えば、p24に記されている「沖縄基督教連盟」なる組織は、実際には存在しない。確かに、『27度線の南から』にはそのような名称になっているが、正しくは、「沖縄キリスト聯盟(連盟)」である。いくつかの記述には「教」の字がついて「沖縄キリスト教連盟」となっているものもがる。しかし、当事者の手記の記述を見ると明らかに「沖縄キリスト聯盟」が正しいと思われる。例えば、最近、沖縄キリスト教学院の図書館に移管された仲里朝章牧師(同学院の初代学長)の手記には「基督教連盟」や「キリスト教連盟」といった記述は、まったく見られない。

この組織は、単なる沖縄のキリスト教の親睦団体として結成されたものではなく、キリストにより建てられ、キリストを頭とする集団という意味がその名称に込められているのだ。だから、「キリスト教連盟」ではなくて、「キリスト聯盟」なのだ。したがって、この名称の「誤記」は、当時の人びとがキリスト教に賭けた夢や期待をまったく顧みていないことの表れだといえば、言い過ぎだろうか。

それから、この沖縄キリスト聯盟の創設年月日であるが、内間氏の論文には「1946年2月6日」とがるが、これは「沖縄キリスト聯盟会則」という文書に記載されている日付である。しかし、仲里牧師や他の牧師の手記を見ると、46年中は同聯盟の活動実態は確認できない。そして、47年1月9日に改めて発会式を行い、それ以降、年1回の定期総会と臨時総会、それに、隔月で理事会を定期的に開催しており、その場で議論された議題もほぼ明らかになっている。内間氏がp24で述べている「連盟的教会」が何を意味するの定かではないが、同聯盟は、按手礼を執行しており、教会財政や牧師の俸給などを細部にわたっての議論が見られ、すでに教団・教派的な「教会」であったと、わたしは見ている。その上、聯盟の将来計画や日本や米国の神学校への留学生の派遣、ミッション・スクール(大学)の設立構想なども議論している。

わたしは、これらの事実を「軍事占領下における地域形成とキリスト教─一九四〇年代後半の沖縄を事例に─」(日本基督教学会編『日本の神学』№49、2010年9月)で公表している。

また、内間論文で書かれている沖縄の教会や信徒とチャプレンの関係や沖縄における社会派と福音派の対立などは、氏の記述よりも、実態はもっと複雑なものがあるのだが、主として状況証拠に依った評価が見られるのも疑問である。これらについても、わたしはいくつかの論文を公刊してきた。

しかし、実際に、こうして、全国のクリスチャンが読む雑誌にそれらが「事実」として書かれてしまうと、沖縄出身でないわたしが「それは、違っています」といっても、信じてもらえないのではないかと不安である。また、関連した別の問題として、「沖縄人以外に沖縄キリスト教史の研究をしている研究者はいないのではないか」という先入観も時々感じることがある。

しかし、冒頭、述べたとおり、沖縄のキリスト教に歴史的に関わり、現在や将来に関わって、関わろうとしている人間は、沖縄人ばかりではない。そして、沖縄キリスト教史が提起する諸問題は沖縄から多くの地域に連結している。その意味で、沖縄のキリスト教は、日本だけではなく、東アジアや米国のキリスト教が切り結ぶ結節点になっているのだ。

だから、沖縄のキリスト教や沖縄キリスト教史は、グローバルな存在であり、勇気を振り絞って、敢えていうと、それは沖縄人だけのものではなく、すべての人に開かれ、世界につながり、普遍的な問題を提起しつつ、世界に共有されるべき「公共財」のようなものではないかと思う。

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