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2013年3月17日 - 2013年3月23日

2013年3月20日 (水)

奄美大島の土地とカトリック伝道

2013年3月7日から12日まで、奄美大島への調査に行ってきた。

最終日、少し早めに奄美大島空港に到着したので、そこから約8㎞はなれたカトリック大笠利教会まで行ってみた。

途中、家屋は点在するのみで、集落らしい集落はなく、ずっと収穫を終えたさとうきび畑が広がる道を進んでいく。すると、畑のなかに忽然と巨大な教会堂(御堂)が出現した。

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行き帰りの道すがら、タクシーの運転手さんとの会話で、昨年と今年は台風や大雨の影響でさとうきびの収穫が減っていること、また、笠利の町の中心は山の反対側に在ることなどを教わった。

奄美島の北部は一見して、肥沃な土地のようにも見え、さとうきびが実る豊かな地域にカトリックの信仰が広まっていった。──と、連想しがちだ。しかし、奄美の歴史は、このさとうきび、黒糖を巡る搾取と差別の歴史でもあったことを知った。

8日に面会したカトリックの神父は、奄美大島でのカトリックの伝道について語るときに、「薩摩義士」の話から始められた。つまり、薩摩藩はこの難工事に必要な数10万両の資金の調達のために、奄美からの黒糖の搾取をさらに強化したというのだ。そして、その搾取は、明治維新後も続いた。

近代になっても搾取され続ける奄美をなんとか近代化するために、地域の有力者は世界中に布教しているキリスト教に目をつけて、鹿児島県の全部の教会(カトリック、プロテスタントを問わず)に招聘の手紙を書いた。そして、それにいち早く応じたのがカトリックであった。

1891年、このちにフェリエ神父が到着し、さっそく布教活動をはじめ、多数の信者を得たという。

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(奄美市名瀬末広町、名瀬永田橋市場の近く)

フェリエ神父から1週間ほど遅れて名瀬にやってきたプロテスタントの伝道者は、奄美大島での布教をあきらめて沖縄に行ったと、先述の新譜は教えて下さった。

こうしてもたらされたカトリックの信仰は、数々の迫害に遭いながらも着実に教勢を拡大していった。その時の迫害の歴史は『聖堂の日の丸―奄美カトリック迫害と天皇教 』や『「悲しみのマリア」の島―ある昭和の受難 』等に詳しい。

それにしても、奄美大島は想像以上に大きな島であった。その島に31のカトリックの教会がある(一部は大島の隣の加計呂麻島にもある)。しかし、それらの教会のほとんどは北部地区に偏っている。

11日は、その加計呂麻島の対岸にある瀬戸内町古仁屋まで行ってきた。名瀬市街地から国道58号線を通って行くのだが、この国道は、鹿児島市内に数100メートルあって、その後、種子島、奄美大島を経由して、沖縄島に達し、那覇市内の明治橋が終点になっている。

さて、名瀬─古仁屋間は、道の島交通のバスで1時間半ほどかかるが、その道中はほとんど山のなかの険しい道とトンネルであった。笠利の平坦さとは対照的だ。また、この区間は、現在は1時間半ほどで行ける距離だが、これらの新しい道路やトンネルができるまでは4時間以上かかったという話を、名瀬地区郊外の施設の方からうかがった。そして、名瀬聖心(みこころ)教会の方からは、「もうすぐ新しいトンネルができて、もっと便利になるが、そうなると古仁屋の人たちはみんな名瀬まで来て買い物をするから、古仁屋の街がさびれるのが心配だ」と語った。

そのような現状のなかでキリスト教の伝道が行われているのだが、いまから120年ほど前、この島にはじめてキリスト教が伝えられたときには、道もなく、移動手段も貧弱だった。

奄美大島の南部は先述の通り、とっても山深い土地で、入江ごとに集落がある。そして、その集落間の行き来は船に頼らざるを得ないような印象を受けた。奄美大島では、一度に100名以上が洗礼を受けるような「集団改宗」が見られたというが、それでも、実際に行ってみると、その伝道の物理的要因による困難さを思わざるを得なかった。奄美のカトリック教会が北部にかたまっているのは、このような伝道当初の物理的要因によるといわれている(先述の神父談)。

古仁屋に行ったのは、そこにあるカトリックとプロテスタントの教会をみる他にもう一つ目的があった。それは、先述の戦前の壮絶なカトリックの背後にあった軍部の動きと、奄美大島要塞化の根拠地を実際にみるためであった。戦前、軍部はワシントン軍縮条約に違反して密かに奄美大島を要塞化しようとしていた。その要塞司令部は、現在鹿児島県立古仁屋高等学校になっている。

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古仁屋は、背後に険しい山を抱えた入江の街で、港からは大島水道を隔てて、加計呂麻島が壁のように迫っている。なるほど、見ようによれば、天然の要害だ。

軍部は、このような奄美大島の要塞化を外国人であるカトリックの宣教師に見られ、条約違反を外国に通報されないように、彼らの追放を図った。

奄美大島で、戦前、カトリックに対する激しい迫害があったのは周知の事実だ。また、いくつかの優れた業績もある。しかし、同時期に名瀬市内にあったホーリネスの教会は、どうやらそれほど迫害を受けていないようだった。このように、今後も解明すべきことは、多くあるように感じた。

今回の奄美大島の調査では、カトリック教会だけではなく、プロテスタントの教会でも史料収集と聞き取り調査を行った。その結果の報告については、他日を期したい。

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