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2013年7月28日 - 2013年8月3日

2013年7月31日 (水)

わたしたちの国の大学の将来と学生の未来、そして、大学教育の明日

わたしは、いくつかの大学で非常勤講師をしたことがありますが、いずれも常勤の職についていながらのことでした。また、この10年余り、大学で教務委員をしている関係から、10月頃になると次年度の非常勤講師を探して、直接お願いする仕事をしていました。

しかし、大学の経営が思わしくなくなると、経営者から非常勤講師の大幅な削減を求められるようになりました。それからは、11月から年をまたいで、経営者との間で削減をするかしないかの攻防が続きました。もともと、小規模私学では教授会や教員協議会には実質的な人事権がなく、それは経営者がにぎっていました。

その攻防の過程で、専任教員で非常勤の講義の肩代わりを求められましたが、それは学問の専門性を全く無視した無理な要求でした。これは、学生に対しても裏切り行為になると思い、必死で抵抗したのですが………。

結局、わが勤務大学では、経営者の強い要求で非常勤が削減されることになっても、直接、担当される講師の方々に謝罪をするのは、理事長でも、学長でも、学部長でもなく、教務委員のわたしでした。

そのような体験を思い出しながら、最近、ネット上にアップされていた以下の二つの記事を読みました。

(1)「厳しい現実、ブルースに大学で歌う授業を展開 痛み共有する力伝える
(2)「日本の大学は非常勤講師を使い捨てる『ブラック大学』

(1)に登場する佐藤壮広さんは、同じ研究会で学びあったことがある方です。非常勤をされる前に、研究のために暫く沖縄に住まわれたことがあり、その時のお話は本当に興味深かったです。それから、学生を大切にされる教師であることが記事から伝わってきます。

実は、常勤の教員も、使い捨てられる時代になっています。かくいうわたしも、来年はどうなるか分からない存在です。勤務先の学部・学科は3年前に募集停止になり、来年の3月には閉鎖されることになっています。その先の身の振り方はまだ決まっていません。

さて、先の記事に挙げられている早大や阪大(私の出身大学院ですが)では、院生が大学に職を得ることが一層難しくなっていると聞きます。そのほか、“零細”な小規模私学の淘汰は一層進み、“余剰”専任教員の解雇も常態化する恐れがあります。
これらの記事を読み解くためのポイントはいくつかあります。
まず、この記事にように個々の研究者の研究業績が正しく反映される仕組みを作ることです。ここでいう研究業績の正しい評価とは数や量だけではありません。先行研究のほとんどない分野を独自に開拓していくような研究では、すぐに大きな成果が上がるものではありません。それも含めて評価することは、実は、とっても難しいことです。
それから、そのような評価がされることを前提に、研究業績が職に正しく反映するルールも必要なのではないでしょうか。以下に述べるとおり、大学の教員に必要なのは業績だけではありません。先述の佐藤さんのように学生のことを思い遣り、円満で温厚な人格を持ち、理性的であり、説得力を持って教育を行う能力も必要になってきます。その上でなのですが、最近、まだ学位(博士号)も著作もなく、わたしよりも業績が少ない教員が大学からの紹介で、転任していきました。わたしは、彼の行く末を祝福しながらも、大学や経営者の扱いについて釈然としないものを今でも感じています。
それから、大学教員の教育能力を正しく評価することです。常勤を持たない非常勤講師の方々は、それこそ必死で授業の準備をし、真剣勝負で授業に臨まないと、“来年”はないのですから、とってもいい授業をされている方をわたしは何人も知っています。それに引き替え、常勤の先生方は、はたして、みな、学生と真剣に接し、学生が集中できる授業ができているでしょうか。
非常勤の方々の教育に対する情熱に対して、「非常勤講師の先生の爪の垢でも煎じて飲ませたい」と、学生たちに思われてはならない。そこのとろこ、学生たちは,とても繊細で敏感です。
最後にもう一つ、大学教育や研究で大切なのは、緊張感と同時に安定感です。誰もやっていないけれど、社会や人類にとって必ず必要になってくる研究を腰を据えて研究できる環境は、とても大事です。
(2)の記事のようにすべてが任期制になるとそのようにじっくりと腰を据えてしなければならない反面、すぐには結果の出ないような研究の芽は摘まれてしまいます。確かに、一旦職を得ると、気が緩んでしまって研究を実施的に放擲するような例もあるでしょう。しかし、仕事の安定はそのようなマイナスの側面だけではありません。
一方で、安定が既得権となってしまえば、若い優秀な研究者の生活の安定を、ベテランの研究者が奪ってしまうことにもなります。
さて、わたしは、これからも多分、自分自身で大学院生を研究者に育てるような経験を一生しないだろうなぁと思っています。これは、わたしの実力なのか、それとも運なのか。それは、分かりませんが、そのような満たされぬ何かを解消するために、ある試みをはじめました。
それは、自分の研究仲間を集めて新しい研究会を立ち上げて、さまざまな大将や研究の背景を持った研究者に学的交流の場を提供することです。先日、第2回目のセミナーが終わった「東アジアキリスト教交流史研究会」はその試みのひとつです。
さまざまな大学院で学ぶ若い研究者が、この研究会で研鑽を積み、越境し、超越していくような爆発的なエネルギーを蓄えて、自分の力で道を切り開く革新的な研究を成し遂げて行く姿を、いつか、この目で、見ていたい。
この国の大学・大学院教育の未来は、いまは暗いように思うけれど、挫けないで、ささやかな試みを続けてゆきたいものです。

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