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2014年6月11日 (水)

誰がその者たちに石を………。:排除のことばが蔓延するこの社会にできること

この5月、長崎を修学旅行で訪れていた中学生が証言をしていた被爆者に暴言を浴びせ、罵ったというニュースを見た。その後、新聞でも、テレビでも、その中学生に対する批判が相次いでいる。

しかし、だれしも、「なんたること」というだろうと、わたしは思っていたいこの事件は、ネット上の“言論”空間では、別のとらえ方をされているらしい。試みに、「長崎 被爆者 暴言」でネットを検索すると、その上位に、さらにその被爆者を批判する記事が出て来る現状があり、とても驚いている。
例えば、これ。
政府や為政者に対して批判的な言動をする日本人に対して発せられるこの「反日」ということばは、「非国民」とう同義だ。
つまり、戦前、体制になびかず、自らのあるべき日本のあり方を追求し続けた勇気ある人びとに投げつけられた「非国民」というののしりのことばの思想と精神が、ここに「反日」ということばで復活している。
このように、気に入らない人に「反日」というレッテルを貼り、社会から排除していくやり方は、「空気」ともいえるほどに、この社会に生きる“普通”の人にまで広がっているのがわかる。ネットという表現手段を手に入れ、その“言論”の洞窟に籠もってしまって、そこがすべての世界だと思い込んでいる人びとは、自ら社会から排除されながら、みずからも「反日」という排除の呪文を唱え続けている。
しかし、そのような人びとを、誰が本当に批判できるのだろうか。そして、冒頭に取りあげた中学生たちを、いったい、誰が本当に批判できるのだろうか。
もっと、堂々と大っぴらに、醜く、下品なことばを吐きながら、恥知らずにも、居座り続けている公人たちを、わたしたちは、未だに、その座から引きずり降ろし、反省をせまることができていない。また、いつの間にか街中に蔓延しはじめたヘイトスピーチの一団とも、和解し、悔い改めをせまることができていない。
そのような、野放しになってしまっている、一方的で、一片の真実も、正義もない言論が社会でゆるされてしまっている。その延長線上に、冒頭の暴言が生まれているとしたら、わたしたちは、一体、彼らをのみ、批判できるのだろうか。
それでも、やはり、いってはいけないことは、いけないのだといわなければいけない。その中学生にも、権力者や政治家にも、そして、巷のヘイトスピーカーたちにも。
「石」を投げる者たちの手を止めさせ、その行いに悔い改めをせまるために、私たちはなにができるのだろうか。目先の事件を批判する前に、根本的な問題を見極めて、その解決を友に探っていく。するべきことはこのことで、目の前の「罪人」たちに、石を投げることではない。

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