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2014年8月11日 (月)

ひとりではなく、ひとりにしない

かつて、「怒りのヒロシマ、祈りのナガサキ」と言われていた頃があったが、当世、ナガサキの怒りが、ヒロシマのそれを圧倒的に上回っているようだ。

城台美弥子さんという方がおっしゃっていることは、至極真っ当なことでなのだ。しかし、それを公式の場で、しかも、首相の面前で、また、アドリブでおっしゃられたことについて、その意義は、とても大きい。
また、この発言をめぐって(長崎市長の平和宣言も、なかなかなものであったが)、SNSでは共感を持った拡散が広がっている。少なくとも、わたしの周囲では(といって、結構広い範囲です)。
しかし、このようなまともで、大切なことは、すべて彼女に代弁させるのではなく、彼女をひとりにしてしまわないために、自分のことばで、自分の意思表示が可能で有効な場で、彼女に続いて、表現していけばどうだろうか。
わたしは、4月から新しい任地で大学教育にたずさわっている。その場では、前期がはじまる以前から続いていたきな臭い時代の臭気が、4月以降、ますます強くなってくるのを感じていた。
それで、法学系の講義では、まず、「集団的自衛権」と「集団安全保障」は全く違った概念であることを説明し、理解してもらった。そして、日本国憲法に保障された基本的人権について、世界史的な文脈でその形成過程をかなり丁寧に解説した。そして、人権思想は後戻りすることなく発展・拡大しているように見えるが、これからは、そうはならない時代が来ることを「特定機密保護法」等を例として話しをした。そして、新憲法下で一定の水準で確立したように見える基本的人権は、実は、精巧にできたガラス細工のようなもので、そのなかのひとつの権利事項(例えば、「平和主義」とか)が軽んじられるようになると、それは、必ず全体に波及するものであると言うことを、語ってきた。つまり、自分たちが人権を享受するだけではなく、かなりな労力を使って、それを守っていかなければならないが、それが、学生自身と将来を担う人の利益に直結することも語った。
また、哲学・倫理学系講義では、本当にことを知るためには、考えることが大切であると言うことを、学生自身が考えるなかで身につけてもらいたいと念じて講義をしてきた。考える前提には、「信じない」ことがあり、疑ったり、容易に信じないことから、「考える」という行為ははじまる。そのことを学生相互の共通理解にできたと思っている。そのなかで、「政治家の言動を信じられない」という多くの学生の意見を採りあげた。疑わないで信じ切っていることからは、決して本当のことは知ることはできない。考えずに信じ切ってしまうことで、騙され利用されてしまうということを、これからの教訓の意味もこめて、講義の参加者と共有できたのではないかと思う。
学生のみなさん、あなたたちを騙そうとする手口についてはいろいろあると講義で述べてきたが、騙されないためのテクニックや心構えのヒントも講義で取りあげた。あとは、自分でしっかり考えて下さい。
宗教学系の講義の広範では、宗教的迫害や政教分離、信教の自由などの問題をあつかった。その際に、「集団的自衛権」の議論の過程で公明党が変質していった背景には、「迫害」をちらつかせた恫喝があった可能性を論じた。公明党の支持母体である創価学会は戦中に国家から激しい迫害と弾圧を受けた過去がある。このような迫害は、宗教団体や信者にとってトラウマとなり、世代を超えて伝えられていく。わたしたちは、ある宗教に対する弾圧に自ら荷担することによって、信教の自由で自分たちにも保障されている「いかなる宗教も信じない」という自由を脅かされるかも知れないことを話した。つまり、うかつに他者を批判しないことと、その批判は思わぬかたちで自分たちに返ってくることは、身に染みたのではなかろうか。
だから、信教の自由は、無宗教でも身近な問題なんです。
後期には、生命倫理系の講義ともうひとつの法学系の講義ももあるので、そこでも同様な試みをするつもりだ。
だから、城台さんの発言をきっかけにして、彼女をひとりにしないために、それぞれの場で可能な限り、自分自身に問題意識や関心に忠実に、本当に必要で正しいことを語り続けたらどうだろうかと思う。
教師は教壇から。牧師は講壇から。父親は父親として。母親は母親として。学生は学生どうしで、あるいは、教員と一緒に。医師や弁護士は、それぞれの立場で。働く人は、職場のなかで。また、サークルのなかで。
巷には、首相は、9月に内閣改造ではなくて、衆議院の解散・総選挙を断行して、消費税の引き上げや福島県・沖縄県の知事選挙、また、アベノミックスの消費期限が切れるまえに、自民党350犠牲を狙っていてるという、噂がある。いまのところ、現政権への批判がいくら高くても、それに対抗する勢力がなければ、大量に棄権が出るに違いない。そうなると、憲法改正が現実味を帯びてきてしまうが、そうはしてはならない。
なので、各人が各人の場で、自分のことばで現政権に対する批判とこれからどうしていくのかのビジョンと希望を語り、そのことで、お互いの共通点を探り、結べるとろろだけでで大きく結びあって、できるだけ大きな「反対勢力」を形成する必要がある。

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