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2014年3月16日 - 2014年3月22日

2014年3月21日 (金)

4月から、わたしは………。:関東方面に転勤します。

1992年3月の末、わたしは広島から大阪・豊中にやってきました。あれから、22年。関西での生活はすでにふるさと愛媛・松山で過ごした18年を超えています。

22年前、広島を出発した日、午前中に大学院の友人たちが引っ越しの荷物出しと、部屋の清掃を手伝ってくれました。その後、新築間もなかったアステールプラザの喫茶店で皆と食事をして、しばしの別れを惜しみました。

それから、しばらく平和公園などで時間をつぶし、紙屋町の行きつけの中華料理屋(中国飯店)で夕食をとり、広島バスセンターに向かいました。あの日の移動は大阪行きの夜行バスだったのです。

そこに、教会でお世話になった方が、お一人、わざわざ見送りに来てくれていました。とてもうれしかった。彼は、わたしより少し年上でしたが、長い間、教会学校の校長先生をしいて、年に何度か、安佐北区のご自宅に青年を大勢招かれ、美味しい食事を御馳走してくださったことは、いまでも忘れられません。

こうして夜行バスに乗ったわたしは、当時何を考えていたのだろうかと、いま、思います。もしかすると、博士課程へ進学できなくて、研究者への道が断たれたかも知れない。それが、思わぬ出会いで、大阪大学の文学研究科博士課程(後期)に編入出来る事になり、それだけでもうれしかったに違いありません。また、新しい研究環境で、いままでの研究課題を発展しようと、相当に意気込んでいたのでしょう。こうして、志を高くした出発だったと思います。

そして、なにより、広島で1日のほとんどを研究室でともに過ごした院生の友人たちや、新しい研究の場に進んで送り出してくださった先生方の想いを、当時のわたしは背負っていました。このときわたしのまわりにいた院生も先生方もそれほど年齢差がなく、一緒に歩いて行こうとする共同体の意識があり、わたしはそこから巣立っていくという思いでした。

それから、所属教会や教区や分区の青年と青年牧師たち。これらの人びとにも、いろいろ御心配をいただき、背中を押していただきました。どれも、これも、祝福された出発でした。

そして、22年後、今度は、東京に行くことになりました。

本日、帝京科学大学から総合教育センター准教授の「採用内定」通知がとどきました。既に本務校の所属学部は4年前に募集停止になり、来週最後の卒業生を無事送り出します。1997年から17年目のことです。そして、この2月頃から、帝京科学大学への人事が進行しはじめ、年度末ぎりぎりのこの時期に、正式にみなさんにお知らせできることになりました。

新しい職場の研究室は、山梨県の上野原市にあります。また、東京都足立区の千住にもキャンパスがあり、そこでも週一回(前期・後期とも金曜日)に講義があります。また、配属先は、総合教育センターです。4月から医療や福祉、教育関係の仕事に就くことをめざす「理系」の学生たちを相手に、「日常生活と宗教」「知識と人間」「法学の基礎」「生命と倫理(医療倫理)」の科目を講義します。

講義科目は、わたしの学んできた道、歩んできた道と関わりはありますが、自分の研究テーマに直接的にかかわる内容ではありません。また、大学でははじめて講義することも多く、非常にチャレンジングな日々になりそうです。すでに、先方にはシラバスを提出していますが、それを悩みながら作成する過程で、次第に具体的な15回の講義のイメージがかたまってきました。悩みながらも、何とかやれそうです。

それから、東京には単身赴任になります。正式契約は未だですが、東京の西八王子にある大学の教職員宿舎(マンション)に入居する予定です。

22年間の関西での生活を振り返り、また、前を向いて歩きはじめようとしているこの時期に、いくつか思うことがあります。冒頭に述べた30代前半の熱いものとは違っていますが、わたしのなかにはこれまでと変わらない(だろう)研究と教育への志があります。4月からの職場にわたしの研究室のゼミ生はおりません。しかし、そのようなかたちでも、自らの将来に対して明確な進路と希望をもっている学生とともに、人としてのあり方、職業人としてのあり方を模索することができるのは、とても幸いなことだと感じています。

それから、この4年間、「もしかすると失業し、家族を路頭に迷わせることになる。そして、なによりフィールドである沖縄や奄美の方々に何の恩返しもできないまま、南島キリスト教史の研究を断念せざるを得ないくなるのではないか」と思いつめた、不安な日々を過ごしてきました。そこで感じた理不尽や不条理、懊悩と焦燥などは、こうして新しく展望が開けた(自分が開いたのではなく…)今となっては、すべてを糧にしなければと思っています。

そして、その鬱々とした日々のなかで、共通の問題や悩みに直面している若い研究者(院生、ポスドク)の姿を見てきました。普通の人生ならば、そろそろリタイアを考えるようになる50代に、こうして新しい職場を与えられるということは、若い研究者の働く場所を奪うことであったりするのではないかと感じています。また、教養課程ででいろいろな科目を担当するということは、結果的に非常勤講師の職を奪うことになるかも知れないと危惧しています。

こうして、いろいろなものを背負いながらこれからも生きていかなくてはならないわけですが、少し、年のことは考えずに、精一杯、出会い、つなぎ、あたためあうための新しい出発にしたいと思います。

関西のみなさん、どうもありがとうございました。自宅(賃貸住宅)と家族を残していきますので、これからも変わらず、よろしくお願いします。それから、関東のみなさん、これから、末永く、よろしくお願いします。

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