カテゴリー「アベ・ウォッチ」の9件の記事

2007年9月12日 (水)

アベ・ウォッチ〜最終回?〜

わたしが、東京にいるときは、何かが起こる。

多分、これが最終回にはなりません、でしょう。では、また、みなさん。

あさってから、また、東京です。多摩市の恵泉女学園大学で行われるキリスト教史学会で、研究発表です。また、なんか、大変なことが、起こらんとええけど。

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2007年9月 9日 (日)

ホントかね

※ 安倍首相「海自の給油活動、継続できなければ退陣」

正気かね。ホンキかね。今度は、どんないいわけを考えているのだろうか。

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2007年7月30日 (月)

さて、一夜明けて。

さて、続投だという。

再チャレンジ」は、自分のため? でした。

でも、この人、人生のくろうってこと、なにもわかってはいない。「再」なんてこと、滅多にあり得ないほど大変だってことを。

本当は「再チャレンジ」があったほうがいい世の中になるに決まっている。しかし、それは、この人のような権力者のためにあるのではないのです。チャレンジのチャンスは一度だけです。「再」が必要なのは、「再」への道が閉ざされて、この世の中で呻吟している人びとだけです。

さて、ひとに言われてやめるぐらいなら、自分からやめるといった方がかっこいいのに。

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2007年6月24日 (日)

「戦闘用ではなく………」

<久間防衛相>弾道ミサイル攻撃は『99%排除できる』」という記事のあとに、次のような一文が。

米軍普天間飛行場の同県名護市への移転に伴う環境現況調査に海上自衛隊を派遣したことについては「今後はそういうことをする必要はなく、スムーズに行くの ではないか」と述べ、今後の自衛隊の出動はないとの見通しを示した。「沖縄県民に銃口を突きつけたとの印象を与えたとされたが、掃海母艦は戦闘用でなく、 それは違う」とも述べ、理解を求めた。

「掃海母艦は戦闘用ではな」なんで、一体だれが信じるのだろうか。第一、丸腰の自衛艦などあろうはずもない。掃海作業をするには、最終的に機雷を銃撃したりするのではないだろうか。それに、乗船している自衛官も有事には武装できるぐらいの武器はもっているだろう。防衛「相」のくせに、常識ないんちゃうか。

しかし、問題はそんなことではない。ここでも触れたが、防衛「相」や政府には別の意図があるのに、わざわざこういう些末な論議にもってきて、目先をそらそうとしている。そんな雰囲気が、充満しているぞ、この発言には。「沖縄県民に銃口を突きつけた」わけではないということは、逆に、突きつけるような効果を狙ったということではないだろうか。と、勘ぐってしまうのだ。

そんな意図が透けて見えるてしまう。そんな安普請な仕掛けが、安倍内閣であろう。

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2007年6月14日 (木)

だまされては、いけない。のだが………。

また適当なことをいっている、と思うのだが。でも、ほおっておくわけにもいかない。

「長い年月、先送り、隠ぺいされてきた問題をすべてわたしの内閣で解決する。最後の1人に至るまですべてチェックすると約束する」。

いうまでもない。年金問題についての安倍晋三内閣総理大臣の発言である。ほおっておけないのは、こうして「改革幻想」を次々と打ち出して、その解決を先送りにしながら大衆の支持を獲得しようとするアベのやり方が、ポピュリズム (Populism)的な傾向、あるいは、ファシストに見られる政治手法の典型(というと、ちょっと大袈裟だが)にみえるからだ。

それにしても、国民はみんな馬鹿だと思っているのだろうか。と、いいながら、実はとってもばかばかしい選択をせざるを得ないほど追いつめられている人もいるのかもしれないと思ってみる。

それから、アベは年金の記録漏れについて、菅直人に押しつけようと、口を極めて攻撃したという。これについても、なにやらファシズムの匂いを感じているのは、わたしだけだろうか。ナチスはありもしない罪を着せて共産党を排除した、そして、次に、社民党を。ついで、キリスト教会を。こうして、独裁体制を確立していく。

さて、どうなるだろう。

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2007年5月28日 (月)

「慚愧に堪えない」

「慚愧に堪えない」──『広辞苑』(第4版)によると

ざん‐き【慙愧・慚愧】
(中世にはザンギ)
(1) 恥じ入ること。「―に堪えない」
(2) 悪口を言うこと。そしること。平家一一「むげに情なかりけるものかなとぞ皆人―しける」
 → さんげ【慚愧懺悔】

松岡利勝農林水産大臣が亡くなった。この件に関して、やっと口を開いた安倍晋三首相は、彼の死が「慚愧に堪えない」と述べた。この発言は好意的に解釈すると、安倍首相が松岡氏の死を「残念でたまらない」ということを言おうとしたのだろう。

けれども、「慚愧に堪えない」にこうした文脈で使う「残念でたまらない」の意味はない。自分が何かとても悪いことをして謝るときに、「慚愧に堪えない」という表現をつかって、「残念」という意味を込めることはあるだろう。その場合の「残念」は、「恥ずかしくてたまらない」という意味だ。

さて、首相は、松岡農水相がしんで、なにが「恥ずかしい」というのだろうか。

まさか、松岡氏のことを恥ずかしいといっているのではなかろう。それとも、自殺するような大臣を任命した自分のことを、本当に恥ずかしいと思っているのか。「もっと早く辞めさせておけばこんなことにならなかったのに、残念だ」ということなのだろうか。

いろいろ考えてみるけれど、意味がわからない。しかし、彼の不安定な心の動きがあらわれているようにも思う。そして、自分が批判がありながら大臣に任命し、その後の「事件」でもなぜかかばい続けていたその理由が、朧気ならがわかっているような気がする。

いずれにしろ、わたしたちが、知らない、知らされていないことが、まだまだたくさんあるのだろう。

──以上、速報のみ。

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2007年4月26日 (木)

しつこい人

冷たい人で、激昂する人は、実は、しつこい人でした。こんなんもあります。よ〜っく考えたのですが、狙いはきっとメディアの弾圧でしょう。そういえば、この人、NHKの従軍慰安婦番組の改ざん問題の一件もありました。

そう考えると、案外冷静な人なのかもしれません。

今後も、ウォッチングを続けます。

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2007年4月25日 (水)

激昂する人

この人のことを、前は「冷たい人」と書いたが、本当は激昂する人でした。お詫びして、訂正します。というか、どっちも本人なのだろう。

つまり、他人のことについては多分無関心で、その他人が例え殺されても、「あさ、そうですか」というような感じ。一方、自分のことをいわれると、それがどんな些細なことでも激昂する。どんな大人気のない人なんだろう。

こんなことを、いちいち指摘するのも、品のないことではあるが、しかし、この人の職業不的確性をこうしてこまめに記録し、公表していかなくてはと思っている。

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2007年4月17日 (火)

つめたさ

他人の悲しみや苦しみに、どうしても共感できない人がいる。別に、悪意があるわけではないのだが。他人の悲しみや苦しみに涙しながら、その実ちっとも心がこもっていないことが透けて見えてしまう人がいる。きっと、一生懸命にその人の感情をわかろうとしているのだろう。それとも、社会的儀礼? 他人だけではなく自分の感情にかかわることを質問されると、自分が攻撃されていると感じてしまって、「どうしてですか?」とついつい聞いてしまう人がいる。

普通の人から見ると、きっと冷淡な態度で、冷酷な性格の人なのだろうなぁと思われているのだろう。そういう人を、わたしたちは上手に受け入れていかなければならない。そして、自分もそうではないかと疑ってみることも必要だ。自分から少し離れたところの悲劇に直面しても、涙も出ない、なんの感情も生まれてこないときに、自分はとてつもなく冷たい人間ではないかと、そのことのみに感情があふれてしまうことが、われわれにはときとしてあり得るのだと思う。

きょう、長崎市長が銃撃された。容態は予断を許さないという。そのさなかのこの国の首相のことばにある種の冷たさ、冷酷さを感じたのは恐らくわたしだけではないだろう。しかし、そのある種の冷たさは政治家特有の冷酷さでもなく、無神経で気配りのない冷淡さでもないような気がするのだ。あえて言えば、氷のように燃えながら凍えるようにに突き刺してくる彼自身の生来の、あるいは、後天性の暴力性の発露ではないかと思うのだ。それは、怒りではなく、悲しみに突き動かされている。

そのようなぞっとするような冷たさは、あるいは、彼自身が本当の愛情というものを受けたり、感じたりしたことがないからではないか。そう思うのは、わたしの妄想だろうか。

先にもいったように、わたしたちはこのようなとてつもなく深い悲しみの穴を抱えて、それ故に他人の不幸や悲劇に共感できないで苦悶している人間を、暖かく受け入れなければならないと思う。そのような人間は、他人のどのような悲しみよりももっともっと大きな悲しみを、たとえようもない地球上最大の虚無を自分が抱えていることに苦しんでいるはずだ。だから、だれかがそれを愛情で少しずつ、だんだんい暖めていくしかない。あの人の日頃の言動を見ていて、何となく感じたことが、きょうのこの事件で一挙にわかったような気がする。

本当は、とてもかわいそうな人なのだ。他人の苦しみや悲しみに共感できない悲しみを自らのうちに抱え込んでしまった人。おそらく、それは、彼自身のせいではない。それは彼自身の個人的な悲劇だから、繰り返して言うがわたしたちは受け入れなければならない。

しかし、それが国家や国民の悲劇になるとき、わたしたちはそれを看過してはならないとも思う。あの人は、首相になどなるべきではなかった。そして、そもそも政治家という職業に最も向いていない人が、生まれたところが不幸のはじまりで、最もたどり着いてはならないところにたどり着いてしまった。その彼自身の不幸が、今やこの国に住む国民や他国民、周辺の国々の民、そして、世界人類の不幸になりかけている。時代とは、こういうものかと思う。

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