「筑紫哲也」との別れ
「筑紫哲也」が亡くなった。
わたしが大学生・大学院生の頃、今から思えば、たいそう滑稽で、未熟な感じだが、『朝日ジャーナル』を読んでいる自分がどこかしら誇らしくもあった。その『朝ジャ』の編集をしていたのが、亡くなった筑紫哲也さんでした。しばらくして、筑紫さんは『朝ジャ』をやめて、「NEWS23」のキャスターになりました。わたしは、それから、欠かさずその番組を見るようになりました。
そうです。わたしは、筑紫哲也さんのファンだったのです。
しかし、あることがきっかけで、筑紫さんの番組を余り見なくなりました。その「あること」とは、1995年1月17日以降の阪神大震災での筑紫さんの報道姿勢でした。ジャーナリストとして、節を曲げず、「現場主義」に徹することは必要不可欠なことです。そして、筑紫さんはそれを確かに、この時も、忠実に守ってはいたのです。しかし、彼のことばは、この圧倒的な「事実」の前に完全の浮いてしまっていたのです。現場でありながら、現場に完全に距離をとり、それなのに、それをことばで飾ろうとしている筑紫さんの姿勢に、わたしは激しい違和感を感じました。
思えば、これが、わたしと「筑紫哲也」との別れです。その後も、別れた彼女に対して冷たくできないのと同じ信条で、その後の「筑紫哲也」に適当につきあってはいたのですが、震災でも彼のことばがいつも脳裏を過ぎりました。
「筑紫哲也」は、人々が哀悼し、賞賛するに値する人物だと思います。わたしは、そのことを否定するつもりはありません。しかし、わたしは、こうして「筑紫哲也」が賛辞で埋め尽くされてこの世から送られる、少し前に、別れを告げていたのです。
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