カテゴリー「東京」の7件の記事

2009年1月17日 (土)

忘れ得ぬ日

14年目。神戸を離れて、その時を想っている。ここ東京には、すでにその痕跡すらなくなっている。もともと、1・17から数ヶ月後、東京は例の事件で騒然となり、それ以来、神戸の震災のことを忘れ去ってしまっている。それが、この国の首都の現実だ。そして、この大都市にも、いつか破局の地鳴りが来るのだが。

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2008年11月17日 (月)

明日の神話(改)

※ 試しに、携帯でブログに投稿してみたので、文章を打ち込んでいませんでした。

岡本太郎の「明日の神話」です。東京・渋谷の京王井の頭線へ向かう通路では、数ヵ月前から工事が行われていいました。この日(今月17日)夕方に通りかかると、完成していました。当分はガードマンがつくそうです。

     明日の神話
 

         明日の神話

さて、わたしは、どちらかというと「広島贔屓」なので、この壁画、やっぱり広島にあるべきではないかと思う次第です。しかし、この通路、どこにそんなにひとが住んでいるのか、一日に35万人の人が通るそうです。35万人といえば、宝塚市の人口の約1.5倍。高知市や吹田市の人口に匹敵する規模。多くの人に、見てもらいたいということなのでしょうか。

この日は、最初だからみんな(わたしもそうですが………)携帯をかかげて、ぱちぱちやっていました。しかし、毎日眺めていると、風景化しそう。35万人とときどき通るひとり(わたし)は、何を思うことなく、通り過ぎていくような気がするのですが。

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2008年7月25日 (金)

様々な実感(雑文)

先日、赤坂から銀座まで歩いてみた。東京で移動するときには、ほとんど地下鉄なので、実感はなかったが、こうして歩いてみると、巨大だと思っていた東京も案外広くないことがわかる。

そして、容赦なく照りつける夏の日差しが、わたしの身体に“今年の夏”の実感を植え付けた。その炎天下、休まず、小一時間、あるいは、2時間以上を歩き通せた実感が、心地よかった。

さて、銀座について久しぶりに教文館というキリスト教書店に立ち寄った。キリスト教史や沖縄のキリスト教についてはめぼしいものはなかったが、他では手に入れることが難しい学術雑誌を2冊と、『教団新報』(日本キリスト教団の機関誌)3号分を手に入れた。

同じ建物にある喫茶店で、汗まみれになった体を休めながら手に入れたばかりの『キリスト教社会問題研究』を開いた。この雑誌は数年前までわたしも活動をしていた同志社大学人文科学研究所が主催する「キリスト教社会問題研究会」の年刊誌である。最新号は昨年の4月に亡くなられた、T先生こと田中真人先生の追悼号であった。

研究会で顔を見知っている方々が、何名か、追悼の文章を載せておられた。そのうちのお一人は、先日亡くなられた土肥昭夫先生である。また、研究補助者として働かれていた方が、大学のポストに就かれていたりしたことを、そこで初めて知った。

喫茶店の生ぬるい冷房のなかで、それらの追悼と田中先生の思い出の文章を読んでいると、研究会での出来事がよみがえってきた。なぜか、とても、遠い日の出来事のような感覚であった。

そして、、また、それでも、田中真人先生が逝ってしまわれたという実感が、まだ、ほとんど、わたしの躯や、こころのどこにも、わいてここないことが不思議であった。ただ、心の目が同志社人文研に向けられ、目をつぶってあの暗い階段を昇っていくことを目の裏側に再現すると、その先に真っ黒な、そして、空疎な、空間が最近広がりはじめている。

実態のない実感だが、確かに、何かが、とても遠くなりつつあるのだ。

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2008年2月12日 (火)

早朝の那覇を発って〜「東京」というギャップ〜

未だ、朝が明け切らぬ中、モノレールに乗って那覇空港に向かった。今回は3泊4日という短い時間であったが、また、いろいろ収穫があった。そして、今回も沖縄では事件が起こり、どうやら号外(これと、これ)も出たようである。この件については、また、しばらくしてコメントを書くつもりだが、そんなことが起こっている沖縄を、心残りながら、離れた。

そして、関空着、伊丹経由で東京にやってきた。

わたしは、四国の海辺に近い田舎町で生まれた。一番近い“大都会”の松山の市街地まで、30分に一本の路線バスを待って、時々連れて行ってもらうことが、子どもながらにとてもうれしかったことをおぼえている。その後、少し大きくなって、世の中には松山よりももっと大きな“大都会”が、たくさんたくさんあることを知った。そんな“大都会”にも住むようになった。それでも、いまだに、わたしは田舎もので、“大都会”の雑踏に出て行くことが、本当に苦手なのだ。休日、家を出るのが億劫で、結局一日家にいるのは、外出がイヤなのではなく、あの三宮やその他の雑踏が苦手なだけなのだ。

ところで、朝までいた那覇も、近年、とみに“大都会”化していて、泊まっていたホテルがあった「おもろまち」周辺は、「新都心」と名付けられ、開発が進んでいる。休日で、久し振りに太陽が顔を覗かせた昨日、「サンエー那覇メインプレイス」という巨大ショッピングモールの周辺は、駐車場待ちの車で大渋滞していた。また、その周辺には高層のマンションやホテルが次々と建ちはじめている。しかし、そのような“表通り”をはなれると、そうではないところが、まだ、何処にもある。「開発されていない」というよりも、「取り残された」という印象があるのは、それだけ両者のギャップが開いてきたからなのだろう。

そんなところから、東京に来たわけだが、ここにはここだけの世界と雰囲気がある。そして、それと接するたびに、わたしは違和感を抱いていて、いっこうにこの首都に馴れない。さて、この地でも、昨日の沖縄の事件は語られている。随所で語られている。国会で、政府で、そして、街中でも。しかし、それらの言説は、沖縄のそれとは違っている。その事件そのものに関する関心の持ち方や視点が全く違っているのだ。それは、政府だけではなく、民間の企業でも、一般の住民にしても、そうなのだろう。

東京には、「怒り」がないように思う。それだけ冷静なのは、やはり距離感があるからなのだろう。「距離感」、そして、その「ギャップ」。これらは、事件そのものに対する皮膚感覚にも存在している。あるいは、“狙われている”という切迫感、危機感に対する「距離」と「ギャップ」なのだ。

いつも書いていることだが、これは、キリスト教についてもいえることだろう。沖縄の教会に歴史などない。あっても、それは本土の中央教派・教団の伝道地、いわば、植民地か新領土としての「伝道される」歴史があるだけだ。──と、本土教団史には書かれていて、今の教団の執行部はそう思っているのだろう。

しかし、それだけではない。日曜日に出席した首里教会の礼拝では、沖縄に「研修」に来たという東京のどこかの支区の一行(といっても、牧師と信徒の計2名だったが)が等々と自分の思い出話をかたり、自分が如何に沖縄に縁があるのかについて語っていた。しかし、肝心の沖縄で何を見、何を感じ、自らが何をしなければならないと感じたかについては、結局何も語られはしなかった。礼拝中の新来者“挨拶”とは、元来そのようなものかも知れない。しかし、“研修”で何程のことを学んだのか、それを自己確認ヲしなければならないといった姿勢はないのではないかと、わたしはその人たちのことを見て感じていた。

東京の大教会や大教会からの間接的支援を得ている東京の教会が、沖縄のことを理解するのは、自らの思考を逆転させたり、自らの価値観を一端白紙にしなければならなかったり、いろいろ大変だと思うのだが………。

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2007年9月13日 (木)

新しい発見

詳細は、いま、述べることはできないが、今回の東京行きで新しい発見があった。

戦後間もない東京で、「沖縄人キリスト教団」が設立されたというのだ。代表者になっている人物は南洋方面の伝道にも関与した人物らしい。

戦後、「沖縄人」ということをアイデンティティに廃墟の首都・東京でキリスト教団が設立された。日本基督教団から離脱したのだろうか。それとも、………。

詳細はわからないが、「沖縄キリスト教史」の射程は、さらに、入り組んで、遠くに広がっていく。

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2007年9月 9日 (日)

アタック!!〜闖入者へ〜

きのうの市民講座のことを書きたいと思うのだが、それは一日おこう。

さて、本日のアクセス数は、この時間で「133」。訪問者数は「5」。つまり、一人の訪問者が130回近くアクセスしていることになる。このブログは、1日あたり20アクセスあればいい方なのだが、大変なことである。

気になって、その一人の訪問者の「リモートホスト」を調べてみた。「[・・・・・・・・]marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp (東京)」。試しにyahoo!にかけてみた。「組織ぐるみ(?)でspam送信spam投稿 (株)全信協」だと。

何をたくらんでいるのだろうか。

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2007年4月 3日 (火)

違和感、「ひとつなる“われわれ”」は………

出張で、我が国の首都・東京に来ている。夜10時前に羽田について、京急・JRと乗り継いで11過ぎにやっとホテルに着いた。明日から3日間、カン詰めの会議。

さて、大阪の空港を飛び立つ前からわたしを波状的に襲ってくる違和感は、どうしたものだろう。空港の待合室での乗客の会話。それを聞きながら、言いようのない不安定な違和感に襲われている。

こんな感情はわたしのフィールドである沖縄では決してなかった。以前よく調査に行っていた北海道でもついぞ感じていない。また、今日、関西空港に迎えに行った韓国・光州からの留学生と話していても感じない。先日行った韓国・釜山でも感じなかった。

空港に着いてから乗った京浜急行の車内で感じたのは、きっと、「違和感」に違いない。「この電車は品川行き急行です。ただいま、午後○○時○○分に△△駅と□□駅の間で発生した人身事故の影響で、この電車はこの☆☆駅でこの先の単線区間で行き違う予定の羽田空港行きを待っています。なお、この電車は品川行き急行ですが、運行状況によっては種別と行き先を変更することがありますので、ご了承下さい」って、了承できるわけないやろ。と、関西弁でツッコミを入れてみる。

こんな状況で、なんで、東京のひとは平然としていられるのでしょうか。ここに来て、感じるのは、緊張感だと、理解しました。無用の緊張を与えて、それでも、平然としている街、首都・東京。

“われわれ”とはいったい何なのでしょうか。われわれを覆っている“われわれ”はその表層では「ひとつなる“われわれ”」ようです。しかし、それは、既にいろいろなところでほころび、そして、亀裂を生じている。だからこそ、われわれの国家は「ひとつなる“われわれ”」を演出してきたし、その乖離と分裂の危機感が高まれば高まるほどその演出は過剰になっていく。しかし、その国家の首都は、“われわれ”の一員である“わたし”に緊張感を強いるのです。そして、この都市には、“新しい人びと”が“いろいろ”な国からやってきています。

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