カテゴリー「戦争」の4件の記事

2008年2月21日 (木)

「記録する」ということ。

仕事柄、全国各地の公文書館や図書館をよく訪れる。公文書館や図書館は、よく「民主主義の砦」と呼ばれる。権力が覆い隠したり、バラバラにして、偽装したりしているものを、明るみに出すためには、地道に隠され、バラバラにされ、偽装されたものを、掘り出したり、つなげ合わせたり、暴いたりしなければならない。

さて、きょうも、沖縄でフィリピン人女性が犠牲者になる事件が発生。今度は、容疑者の米兵は基地に逃げ込み、まだ、逮捕されていない。

それから、イージス艦と漁船の衝突事故。「イージス艦、漁船団を避けず直進 僚船GPSで裏付け」とのこと。10数トンに満たない漁船の残したGPSの記録が、自衛隊が隠し、防衛「省」が隠しているかも知れないことを、暴き出している。

「記録する」ということ。やはり、これはわたしたちの民主主義を守り、権力を告発するための重要な手段である。

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命は、守らない。そして、また、隠すのか。

在沖・日米軍兵士による、相次ぐ事件。ワザとか、と思われるほど続いている。誘拐・監禁・強姦、飲酒運転、家宅侵入、偽札使用………。きっと、もっと、続くだろう。そして、だめ押しが、海上自衛隊(海の日本軍)のイージス艦と釣り船との衝突事故。

軍隊は、人を守らない。このことは、既に周知のことだ。

無論、軍隊の中にも、市民・国民を守りたいと思ってその職に就いた人はたくさんいるだろうし、その志が軍隊に入ってからも変わっていない人もいるだろう。しかし、そのような志とは別に、軍隊の目的やシステムから見ると、軍隊に市民をどんなときも守らなければならない義務はない。軍隊にとって外に大事なことはたくさんある。そして、その国民の生命財産よりも大切なものを守ることを第一義的な義務として軍隊は存在している。その結果、救われる国民のあるだろうが、それは、あくまでも副次的なものでしかない。

さて、千葉の漁師さんたちが「軍艦」と呼ぶ巨大船に真っ二つ(実際には中央の環境部分が失われているので、残ったのは船尾部分と船首部分)にされた船は、現場検証のために何処に運ばれた、御存知だろうか。

答えは、「   神奈川県横須賀市の海上自衛隊船越基地」。

つまり、容疑者となり被告となる可能性の高い組織の排他的領域へと「犯罪」の証拠物になるであろうものが運び込まれている。そして、二転三転する、一方の当事者の「証言」と、いまだに発見されていない、つまり、肉声の聞くことができない他方の当事者。このアンバランスの中で、事実は隠蔽されようとしているのではないかと危惧する。

何年か前の潜水艦と大型釣り船の衝突事故では、航泊日誌が改ざんされたという。また、少し次元の違う話だが、「従軍慰安婦」や「南京大虐殺」、そして、以前にここでも触れた沖縄戦での「集団自決」などの諸問題でも、軍隊は、軍隊の上層部とそれに連なる政府機関は、国民の平和や唖然、安心のためではなく、自らの名誉を守り、ひいては、自らが所属する国家の名誉を汚さぬように、事実を隠蔽し、新しい事実を捏造し、それを文字に記し、敷衍して、歴史を作りだすことで、目的を達成しようとしてきた。

──また、隠すのか。(※ 例えば、ここ)

その、思いだけが、無念と一緒に募っていく。

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2007年10月23日 (火)

括弧付き「実証主義」〜数値の魔術、数値の魔力〜

いささか、旧聞に帰するが、この時期に触れることは消して無意味ではないと思う。

先日、沖縄で行われた「教科書検定意見撤回を求める県民大会」の参加人数をめぐって、大会主催者の発表した11万人という数字に対して、主として右翼陣営から批判は出ている。

例えば、あるものは、会場となった公園の面積を測り、「人口密度」を出して、11万はあり得ず、多くて4,5万だろうという。また、新聞(どこの新聞かは明示がない。恐らく『琉球新報』や『沖縄タイムス』ではないだろう)に載った会場の写真に写った人間の頭をひとつひとつ塗りつぶして数えたそうである。そうして、積算された人数はせいぜい1万人だったという。

こういう数字は、特に主催者側のそれでは、おおめに発表されるのが常だ。もし、今回も相だとしても、1万人などと言うことはありえない。それより、一件実証的な手段や手続をとりながら、是が非でも、その数を少なく見積もろうとする、右翼・ネットウヨ連中の涙ぐましい努力が、かえって涙を誘う。

新聞に写った人間の頭は、もし、その数が正確だったとしても(それも、とっても難しいことだけど)、それは、その新聞に載った人間の数が1万人ということであって、参加者が1万人ということはないのだが、論理がすり替えられている。面積・人口密度説もしかり。このような主張をする人たちは、だれ一人として、その場にはいなかった(はず)。あたりまえだ。その集会には、阪大だもの。多少多めだとしても、その場にいた人たちのカウントより、その場におらず、机上の空論で算出された数字のほうが正確なんてことはありえない。そして、このような論法は、彼ら・彼女らのなかにしばしば見られる。つまり、「空論的実証主義」だ。もし、本当に正確な数字がそんなに必要で、しかも、それが実証的に正しいことを証明するのであれば、今からでも遅くはない。至急沖縄に渡って、沖縄県民約137万人ひとりひとりに参加したか、いなかを訊ねることをおすすめする。

ところで、ひょっとすると、このブログの前の記事で書いたように、右翼やネットウヨのみなさんは、沖縄について関心がなく、どんなところかも知らないので、沖縄の人口がとっても少ないと思いこんでいるのかも知れない。例えば、沖縄の人口が40万人だと思いこんでいたとすると、11万人も集まってしまうと、沖縄の4分の1の人が当日集まったことになってしまう。それは相当困ると、とでも思っているのではなかろうか。

当日の参加人数は、先島(宮古島と石垣島)で集まった数千人を加えて12万人としても、沖縄県全体の人口の約8.76%に過ぎない。そして、この12万人のなかには、相当数の本土からの集団が入っているので、沖縄在住の人に限ると、もっとパーセンテージは下がるだろう。だから、先の4分の1(これは、仮定の数字です。実際に沖縄県民の4分の1となると35万人ということになります)という数字なんてことはありえない。

それよりも、もっと大事なことがある。その会場にいなくても、また、自分の所属団体から例え動員されたとしても、例えば、会場までの臨時バスを運転した多数の運転手の方々は、その11万人と言う数字にはカウントされていないのではないか。そして、なにより、今回の問題については憤慨していて、検定意見の撤回をするのは当然だと思っていても、単なる時間の都合ではなく、自らの意思でその場には行かなかった沖縄人も多数いるだろう。つまり、あの場所にいた人間は、恐らく確実に、沖縄戦で起こった「集団自決」に日本軍の関与があったと確信しているだろうが、その場にいない人も、数はわからないけれど、相当数がそう確信していることは間違いない。だから、この11万人という数字は、実は、論理的に見て最低の数字であって、実際はその数倍、数十倍(テナ事はありえないが)の人数が、心の中で参加したり、参加しなくても、怒りや悔しさを共有しているのだ。

そして、今ひとつ。沖縄が、意見を言うときには、なぜ、「島ぐるみ」でないと、全島・全県一丸とならないと、それが日本人に聞き届けられないのだろうか。決して小さな島ではない、そして、広範囲に島々が点在し、そこにはいろいろな考え方の人が住んでいる沖縄。県外にも、海外にも、たくさんの沖縄人が生きて、生活している。そのような人々が「一枚岩」のわけがない。むしろ、そうでない方が健全とさえいえる。なのに、何で「全島・全県一丸」で、「一枚岩」なのか。

極論だが、例え一人でも、真摯に反対の意思表示をするものには、耳を傾けるべきである。そして、それは、自分と異なる意見であっても、その問いかけが、何か他の不純な目的をカムフラージュするものではなく、心からのものであれば、わたしたちは、それに耳を傾け、誠意には誠実で答えなければならないと思う。

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2007年3月 2日 (金)

不発弾撤去の街角で

この3月4日、私の住んでいる街で不発弾の撤去作業が行われる。神戸市は、「東灘区青木 不発弾の処理作業について」等で広報しているし、新聞にでも採りあげられている。4日の日曜日の朝には、約10,000人の大規模な避難が行われるという。

このニュースを聞いたとき、なぜこんなところに不発弾がと思った。しかし、調べてみると、青木から深江にかけては、戦前飛行艇などを製造していた「川西航空機(現新明和工業)」甲南製作所があったという。今回発見された米国製の不発弾は、おそらくそこを標的に落とされたものだと思われる。

※ 神戸の空襲については、ここを参照のこと。

ところで、先月初め、東灘区民広報誌『東灘コミコミ』の臨時増刊号が配付された。内容は上記の「不発弾撤去作業」についてだ。その広報誌の第一面を見て気がついたことがある。それは、5つの言語(日本語を除く)で注意書きがされていることである。はじめに英語、次に中国語、ハングル、ポルトガル語、スペイン語、そして、ヴェトナム語の順になっている。

神戸には近代以降、さまざまな国の人々がわたってきて、住み着いている。西岡本にはジーメンスの「ヘルマンハイツ」があり、旧居留地や南京町もある。長田や須磨もまた、それぞれ、違った意味で、“国際的”な街である。また、神戸は明治初期には北海道開拓のため神戸と旧三田藩の人々により結成された「赤心社」の本拠地になり、奄美や沖縄等の南東からの人々を吸い寄せた。神戸は、戦前から戦後にかけて、ブラジル等にゆく移民の収容施設があった。

実は、今回不発弾が見つかった深江あたりに、戦前、欧米から来た芸術家たちが別荘を造っていたらしい。しかし、現在このあたりの住んでいる人たちは、そのような人たちではない。以前、用があり、阪神深江駅で下車し、しばらく海側に歩いたことがあった。時刻は、ちょうど、昼下がり。そこですれ違った人びとは、ポルトガル語かスペイン語らしきことばを話していた。

梶原久美子「神戸市東灘区における日系ブラジル人コミュニティを考える」(関西学院大学社会学部、 2000年度安田賞受賞論文、『社会学部紀要』第90号に所収)によると、ここに暮らす日系ブラジル人や中国人、韓国人たちはこの周辺にある食品工場で主としてコンビニで販売されている弁当やおにぎりなどをつくっているという。くだんの東灘区の広報で使用されている言語はこのような人たちのためであったと推察される。

けれども、それでも、心配なことがある。この間の避難について、ネット上のいくつかのサイトでは避難する、しないをめぐって日本人が議論している。また、市は警察力を動員して、一軒一軒家をめぐるという人海戦術で避難するように住民を説得しているという。そのような説得は、ここに暮らす多くの外国人・日系人に届くのであろうか。また、そうすることが、彼ら、彼女らのためになるのだろうか。しや警察は、「震災の経験に基づいて」というけれど、このようなところにもその経験が生きているのだろうか。

数年前のこの街をあるいたのは、阪神深江駅から国道43号線を通り越して海側にしばらく歩いたところにあった「多文化保育園」を訪ねたときのことであった。そこは、ポルトガル語、スペイン語、英語、中国語、韓国語のできる保育スタッフがいて、日本人の子どもも受け入れていた。しかし、この保育園も2005年8月に閉園したという。そこに通っていた子どもたちやその親たちは、その後どうなったのだろうか。そして、今回の不発弾処理をめぐるできごとをどう思っており、どのように行動するのであろうか。

異国で暮らす外国人たち、なかんずく、子どもたちはこの日をどのように迎え、どのように記憶していくのだろうか。なかには、不発弾、地雷等々が日常生活にあったところから来た人もいただろう。そして、平和な国・ニッポンに来たはずだったのに………。

現実の平和国家・ニッポンには、もっと深刻で過酷な現実がある。そこにあるわたしたちの目に届きにくい亀裂や断裂が、しかし、たしかに存在するこの街に、今回のできごとは「騒動」としてわき起こり、短時日に記憶され、そして、忘却されるのだろうか。

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