カテゴリー「キリスト教」の7件の記事

2009年12月24日 (木)

2009年の聖夜に

聖夜の夜もキリストの恵みにあずかれない貧しい信徒です。
世の平安と人々の幸せを祈りながらも、未だに自らの怒りも、悲しみも、妬み・嫉みも捨てされない、小さな存在のわたしです。

自分が救われることに汲汲として、視野を狭くして歩き、太陽の下で暗闇を歩んでいるかの様な錯覚にとらわれているわたしです。
あなたが照らしたわたしを照らしているのに、それがわたしには見えません。

徒に年齢を重ねるだけで、日々くよくよとして、迷い続けているわたしです。
いま、進んでいる道は確かに未来に延びていると理解しているのに、知らず知らずのうちにうつむいてい歩いているわたしです。

「あなたは、わたしの光、世の光。わたしの希望であって、世界の希望です。」
このささやかなつぶやきを、そっと2009年の聖夜に捧げます。
どうか、御胸の内にとどめてください。

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2009年11月23日 (月)

恥の上塗り

先述の小沢一郎民主党幹事長の「キリスト教とイスラム教は、独善的」発言に対して、日本キリスト教連合が、抗議文を送ったらしい。それで、ちょっと探すと本文がここにあったので、転載する。

民主党幹事長 小沢一郎殿

 貴職は11月10日「全日本仏教会」松長会長との会談後「キリスト教文明は非常に排他的で、独善的な宗教だと思っている。排他的なキリスト教を背景にした文明は欧米社会の行き詰っている姿そのものだ」と記者団に語ったと報道されています。
 この貴職の発言は、キリスト教に対する一面的理解に基づく、それこそ「排他的」で「独善的」な発言であり、日本の責任政党幹事長が世界人口の約3分の1のキリスト者がいる国際社会に向けて発言した言葉として、その見識を深く疑わざるを得ません。
 「汝の隣人を愛せよ」と説き、生命を捧げてすべての人とのために仕え切ったイエス・キリストを救い主と信じるキリスト教は民族・国境・思想等のあらゆる差異をこえて平和の実現のため努力しています。
 本連合会も教派教団を越えて一つなる歩みを重ね、日本宗教連盟傘下にあって「全日本仏教会」とも協力して広く差別偏見からくる排他性と戦っています。
 そうした働きを否定し、キリスト教を排他的と決め付ける言葉に抗議し、撤回を強く要求します。

 2009年11月11日

   日本キリスト教連合会    
    委員長 山北宣久 

山北宣久様、あなたはあなたの隣人を、本当に愛しているのでしょうか。そして、イエスがその命を捧げて、人類を救おうとなさったからといって、それを信じる人すべてが、同様というわけでないのですが、その点、何か、錯覚をなさっていませんか。

あまり大きな騒ぎになっていないのは、幸いだが、このようなことを「恥の上塗り」というのだろう。

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2009年11月18日 (水)

キリスト教(特にプロテスタント)の排他性〜寛容で協調的なキリスト教は存在するか〜

民主党の小沢一郎幹事長が、先日の仏教関係者との会談で、「キリスト教は排他的」と述べたとのことである。実際には、キリスト教だけではなく、イスラム教も排他的であると述べたという。この件に関して、記事の最後は「キリスト教やイスラム教に対する強い批判は、今後、波紋を広げる可能性もある」とあるが、この記事を読んで、反発するキリスト教関係者もいるだろうが、内心その通りだと思っている関係者もいると思う。

実は、わたしも、キリスト教はだいぶん排他的な宗教で、その排他性を売り物にしてこれまで日本で伝道してきているのではないかと思う。先の小沢氏の発言は無論キリスト教やイスラム教の内実を知った上での発言ではなく、仏教の寛容性を強調したものだろう。その仏教は寛容かといえば、それはすべてそうとは言えないが、頷ける側面もある。だから、少なくともキリスト教は世間様から排他的と見られているということを、キリスト教関係者は肝に銘じるべきであろう。

さて、そのキリスト教の排他性であるが、それは、「外部」に対する排他性だけではない。キリスト教、特にプロテスタントでは、他教派や教派内の対立するものどうしは相当対立しており、互いに排他的でもある。その排他性が、宗教としての伝道活力にもつながってるのだろうが、しかし、この問題は相当深刻でもある。その対立や排他性に関するいくつかの例をあげて、それでも、協調的で寛容なキリスト教のあり方を模索したい。

まず、「プロテスタント日本伝道150周年」をめぐる問題である。わたしの理解では、「日本」のプロテスタント伝道は、欧米の宣教師たちが、ベッテルハイム等による琉球伝道を足がかりに、今から150年前に横浜・長崎に上陸したことするという、琉球伝道と日本本土伝道が連結された“一連”の出来事により開始されたと思われる。そして、日本でのプロテスタントの本格的伝道はそれから数十年を待たなければならなかった、ともいえる。

しかし、プロテスタントの内部にはこうした琉球におけるベッテルハイムの伝道を認識しつつも、頑なに横浜伝道150周年が「日本伝道150周年」であると主張しつづける人びとがいる。この件については、以前にも批判的に述べた。重ねていうが、わたしはこの人たちの排他性が気になってしかたがない。彼らの排他性の刃は、明らかにキリスト教、プロテスタント、そして、日本キリスト教団の内部に向かっている。

そして、最近になって、ベッテルハイムが離琉したあと、ベッテルハイムが沖縄社会でどのように表象されてきたかを調べている。実際には、文献史料は乏しいわけだが、それでも、戦前から少なくとも以下の5回にわたってベッテルハイムに関する記念行事が開催されている。

  (1) 19265月:「博士ベッテルハイム渡来満八拾年記念伝道講演会」「博士ベッテルハイム渡来満八拾年記念礼拝」(5/2)「ベッテルハイム渡来八十年記念運動」(5/18-20)

  (2) 19375月:「ベッテルハイム来島90周年記念式典」と関連行事。ベッテルハイ ムの孫・ベス・プラット夫人来沖。

  (3) 19549月:「ベッテルハイム百年祭行事」:1)頌徳碑修復(琉球政府文教局)2)ベッテルハイムに関するパンフレット出版、3)頌徳記念碑除幕式(9/1)4)「ベッテルハイム百年記念式典並講演会」(9/1)

 (4) 19665月:「ベッテルハイム師沖縄上陸百二十年記念式」(5/3)

 (5) 19965月:「ベッテルハイム来沖15096おきなわ 聖書展」:聖書展・ミニ講演会・特別講演会・ビデオ上映(5/8-13)

そして、特に(1)(3)では沖縄の政界や医師会などを中心にキリスト教徒ではない市民が多数参加している。(2)では、護国寺の名幸芳章住職外2名の仏教関係者の名前も見える。本土復帰後開催された(5)では、本土やカトリック関係から招いた講演者による連続講演会が、教会施設ではなく、複合商業施設で市民に公開された。

こうした、公開性や開放性、エキュメニカルを越えた、宗教の枠を越えたつながりは、「閉鎖的」の対極にあるのではないか。

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2008年4月10日 (木)

日本のキリスト教が抱える欠落〜わたしたちは、だれに、“寄り添う”のか。〜

数日前、戦後沖縄のキリスト教史の生き証人である方の訃報が届いた。その方には、以前、2時間ほどお話をうかがったことがある。この件については、後日、詳しく論じてみたい。

さて、『AERA』(vol.21-№16、2008年4月14日)に掲載されている「キリスト教会の『性犯罪』」(AERA編集部 田村栄治)を読んだ。ここには、日本の3つの教会で起こった「性犯罪」について紹介されている。日本聖公会高田基督教会(奈良県大和高田市)、日本ホーリネス教団平塚教会(神奈川県平塚市、現在は廃止)、日本基督教団熊本白川教会(熊本市)、それに、カトリックの教会について触れられている。

そして、某SNSなどでは、この件について議論されている。それらの議論のなかに、この一連の事件に対する日本のキリスト教が抱えている問題が垣間見える。

これを発表した雑誌が「左寄り」の朝日新聞だからキリスト教を攻撃しているのだろうという暴論はさておき(共産主義を掲げている中国は信徒数だけでいうと世界最大のキリスト教国になろうとしている。だから、共産主義や社会主義はキリスト教をはじめとする宗教を弾圧しているというのはまった現実に即していないということを、この人はきっと知らないのだろう)、議論の中心は「今、なぜ、この時期に」ということと、うちの(教会の、もしくは、教派の)牧師はやっているのかやっていないのかに終始しており、結論的には、「他の宗教も同種の事件があるのになぜキリスト教だけが採り上げられているのか」といったものや、「困った話だけれど、一部の教会の、おかしな牧師のことでしょう」等々で終わっている。

以前、このブログでも述べたことなのだが、日本のキリスト教は、明治以降、「迫害伝説」というのを構築してきた。これは、一部の教派や信徒、牧師等々がかつて泊がされたという事実を、キリスト教全体に敷衍し、恰も自らが迫害されてきたかのような虚構に基づいているのが特徴である。実際、部分的には教会や信徒、牧師、あるいは、キリスト教主義の諸学校が国家による監視の対象になり、暴力を伴う弾圧に曝されたことは事実である。しかし、一方で、日本のキリスト教界は権力と癒着したり、権力に積極的に協力することで、活動の自由を保障されてきたのも事実である。

そして、この「迫害伝説」は、自分たちを国家による弾圧や迫害による被害者として位置づけることで、その教義から「自分たちが正しいが故に、世の中から迫害される」というように、自らの好意を正当化する手段になっている。また、そうだから、「“わたしたち”少数のキリスト者は団結しなければならない」というふうに、教会・教派の組織固めに利用されてきた。そして、その副作用として、日本のキリスト者は絶えず日本社会を外部と捉えて、そこからの被害妄想に悩まされてきたのである。

さて、上記のようなやりとりの中で、完全に欠落しているのは、被害者に対する想いであろう。日本のキリスト者はこのような事件に際して、概して、「自分たちの代表者たる牧師がそのようなことをするはずがない」と強弁することで、暗に被害者とされている女性が虚偽の申告をしていると推定している節がある。または、被害者に全く想いが至っていない。

わたしは、イエスの教えの本質は、“寄り添うこと”であると解している。そして、“寄り添う”相手は権力を持っている者ではない。自らの同様であるが、力も富も持たない、弱くて不安定な立場に立っている者のなかにこそイエスが存在していると感じて、その人たちにこころを寄せ生きていくことがその含意にある。

ありもしない「迫害」の虚構におびえ、ひたすらに自らの保身しか考えていたところに、この問題の本質がある。そして、そのことに想いが至らず、したがって、自らを正そうとも、代えようともしないが故に、同種の事件は今後も続くであろうところに、日本のキリスト教の非力と悲劇がある。

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2008年2月 7日 (木)

臭い〜『信じる気持』からはじめよう〜

人のは、その人特有の臭いがある。そして、そのような人が集団になった時も、独特の臭いが生まれる。「臭い」──それは、共通の行動や思考から来るあるに通った印象、とでも言おうか、そういうものが妙に臭ってくるものに、出くわした。

現代の異端審問」と題したそのサイトには、富田正樹『信じる気持ち はじめてのキリスト教 』(日本キリスト教団出版局、2007年)について、日本キリスト教団議長と幾人かの牧師から、同出版局に回収や、出版停止、廃版を迫る圧力が加えられたこと、そして、その本を理由に著者は依頼されていた大阪教区総会での開会説教の講壇から「引きづりおろされ」たことなどが、教団議長の私的公文書(なんのこっちゃ、教団議長)や大阪教区の常置委員会の議事録などがアップされている。

わたしは、富田氏の本を二冊程持っている(『キリスト教との出会い 新約聖書』(同出版局、2002年)と『聖書資料集 』(同、2004年) )が、肝心の『信じる気持」は持っていない。だから、これらのできごとについて議論することは出来ないのだが、みんなはこれらの資料をどのように読むのだろうか。関心がある。

また、少々違和感もあった。このサイトを主催しているのは著者の富田正樹氏自身のようだが、先の文書史料の人名はほぼすべてイニシャルであった。文書中にもあるように、お互いに言葉に(本文中では「説教に」となっているが、要するにそこで語られる言葉に命をかけていると云うことだろう)命をかけているといっているのだがから、名前を出しても何ら死傷がないのではないだろうか。現実に、それらの文書は公開されているのだし。だから、富田氏は、当該の牧師を批判しながらも、どこか、最後の一線では牧師どうし、庇い合っているような印象を受けたのは、やはり、わたしの穿ちすぎだろうか。

ともかくも、一般の信徒からすると、確かに「躓き」になる話であるが、だれがどんな発言をしたか特定することも含めて、しるべきことではないかと思う。

それから、こんなのも見つけた。このリンクは、いつまで残っているか分からないが、ここ、ヨハン早稲田キリスト教会で山北宣久・日本キリスト教団総会議長が説教をしたとのこと。これも、幸いというか、生憎というか、わたしのパソコンではどういうわけか見ることも、聞くことも出来ないのだが、どうやら、どこかでそのときの模様が見れるらしい。

現に、その教会で、信じて必死に祈る人がいるのだから、風評を鵜呑みにして同教会を一方的に「ああだ、こうだ」と決めつけることはさけなければならないが、そこで、軽いジョーク(例の「宣久、センキュー」という奴です)を飛ばしながら、喜々として説教をする山北氏の姿を思い浮かべるにつけ、わたしにはどこかから、この人の身体や人生からにじみ出てくる、ある種の「臭い」がどうしても感じられて仕方がない。

さて、『信じる気持』の気持、よく分かります。わたしもほとんどキリスト教とのいないミッションスクールで不遜にも「キリスト教学」というのを教えていて痛感します。彼女たちのほとんどは、キリスト教やキリスト教徒に偽善の臭いを感じたり、不信を抱いていたり、裏があるのではないかと感じています。そこで、どうやったらキリスト教を「信じる気持」を育むことが出来るのか。それは、並大抵のことではありません。みんな、キリスト教の話を聞こうと思って集まっている教会で、「神を信じなさい」なんていうのは、簡単なことです。ついでにいうと、信徒の大半は、自らの信仰を積極的には証すことなく、日常生活をおくっているのです。それは、なぜか。答えは簡単です。それを信じてもらうには、キリスト教の論理は役には立たず、じゃまにすらなっているからです。

だから、キリスト教の良い所も悪い所も、信徒や牧師、宣教師がしたいいことも悪いことも、公平な視点で提示し、それの判断を聞いている学生にゆだねること。そして、キリスト教の信仰をもっていることが重要なのではなく、そのような信仰をもっているかにこだわることが大事なのだということを、何度も何度も繰り返し、例を変え、表現を変えて強調するしかないのです。

さて、わたしも、他人から見ると、ずいぶん臭い人物なのでしょう。あるいは煙たい人物なのかしら。そう、自問自答してみます。

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2007年9月28日 (金)

軍隊とキリスト教

ある人のブログを見ていると、新防衛「大臣」の石破茂は、クリスチャンで、日本基督教団所属教会の教会員であるという。そこで、ちょっと調べてみた。(「ウィッキペディア」には正しいことが書かれているとは限らないので、注意、注意。─と、普段、学生には言っているのだが………。)

母方の曽祖父金森通倫から4代目のクリスチャンであり、日本基督教団鳥取教会に所属している。18歳のときに日本基督教団鳥取教会で洗礼を受けた石破は、幼稚園も教会附属で、「46年間、キリスト教に触れつつ信仰をもちながら生きてきた」と話した[5]

石破常七━━石破市造━━石破二朗
             ┃
             ┣━━━━石破茂
             ┃
金森通倫━━金森太郎━━和子

金森通倫は熊本バンドのメンバーで、同志社の草創に排出された日本組合基督教会の一人。『日本キリスト教歴史大事典』によると、鳥取教会の草創期には元良勇次郎、上代知新(カジロ・トヨヨシ)、デフォレストなど組合教会でも、岡山に関係の深い人物が多く名を連ねている。孤児の父として知られる石井十次や、家庭学校の創設者・留岡幸助らも鳥取教会の創設メンバーと交流をもっている。

金森は日本組合基督教会岡山教会の初代牧師。彼は、一時期教会を離れてていたこともあるが、のちに救世軍やホーリネス教会にも関係している日本キリスト教史の中でもユニークな人物である。通倫の子、石破の祖父、金森太郎は内務官僚でキリスト教徒。

さて、石破「大臣」が、キリスト教徒だから、わたしは、彼に期待している。というわけでは、決してない。むしろ、やっかいなことになったと思っている。そういえば、以前、このブログで採り上げた現防衛大学校長の五百籏頭真の父親・五百籏頭真治郎も熱心なカトリックだったということだから、その息子もキリスト教の影響を受けていないとはいえないだろう。

沖縄の、それも、米軍占領下の沖縄のキリスト教史を研究していると、実は、軍隊とキリスト教は、陰に陽に、表でも裏でも、しっかりと結びついているという実感をもっている。だから、キリスト教徒が防衛「相」になっても驚きはしない。沖縄でも、日本でも、教会のなかには「軍事オタク」もいれば、その他諸々の「オタク」もおり、自民党支持者もいれば共産党の支持者もいる。社会活動に熱心な人もいれば、教会内での政治活動は徹底的に嫌悪しつつ、「教会政治」「教団政治」には喜々として参加する輩もいる。それが、教会だ。だから、軍隊と結びつくキリスト教もありだし、平和の名のもとに戦争の僕(シモベ)になっていくキリスト教の存在も認めよう。わたしはそれらを批判し続けるだけだ。

さて、石破「大臣」が、四代目の「筋金入り(かどうかはわからんが)」のクリスチャンであることがなぜヤバイのか。理由は二つある。

(1)クリスチャンは、「召命」に弱い。「召命」というと多生誤解があるが、とにかく、石破が防衛「相」になったことを、神の召しだと感じていると、相当ヤバイ。これは、彼にとっては信仰の問題で、しかも、神の命令なのだから、恐らく、神以外の批判は受け入れないだろう。

(2)テロ特措法への反対は、「迫害」である。「自分は神の召命を受けてこの任に着き、正義を行おうとしている。しかし、世論や民主党をはじめとする野党はその正義を曲げようとしている。したがって、わたしは、このような迫害には決して負けず、おのれの信を通す」。と、石破が考えていたら相当ヤバイ。

とにかく、大半のクリスチャンはとてもまじめで、職務に忠実である。それは、天から神様が常に見ておられるから(「監視」だよ、コレ)。自分はクリスチャンであるけれども、その前に、人間であり、市民であり、父親であり、息子であり、教師であり………、というような選択があってもいいと、わたしは思っている。こうして、聖書やイエスの言動に忠実である自分と、それの背いているかも知れないけれど、でも、何とか生活している自分と、うまく折り合いをつけながら、洗礼を受ける前よりも、受けた後のほうが、よりましな生き方をする。そんな選択肢を、イエスは、決して許さないとは、決して思われない。

にもかかわらず、過剰に(コレは、主観的表現です)神からの召命を意識し、それに忠実たらんとして生活を破綻させたり、地獄までの道を舗装する天使になったりする。このような一種の選民意識に基づいたまじめな信仰が、これまで、時代を戦争へと導いてきたのではなかろうか。こういうレッテル張りはよくないと思うが、敢えて、問題の所在をハッキリさせるために書くと、「福音派」や何代目かのクリスチャンにはそのような信仰をもった人が多いのではないだろうか。

石破防衛「相」が、四代目のクリスチャンで、しかも、金森通倫の子孫であることを知って、いくつか腑に落ちることがあったが、大切なのは、信仰をもつことではなくて、どのような信仰をもつかである。そのことを痛感している。だから、わたしは、これまでも、そして、これからも、キリスト教の“あら探し”をやめない。

キリスト教には、これからもひたすらに平和を希求する宗教であって欲しい。そのために、過去に、現在に、この宗教がどれだけ、戦争に荷担し、軍隊に浸透し、平和の名のもとで平和を破壊してきたかを、本当に知りたいと思っている。

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2006年12月25日 (月)

「痛み」と「癒し」考〜「落差」の一件から考える〜

先日書いた「落差 」に対して、おふたりの方からコメントを頂いた。それぞれ、わたしがこれまで漠然と考えていたことを簡潔に明示して頂けたように思う。こうしてわたしの問いかけに応答し、支えて頂けることはとてもありがたい。

慰霊や追悼と、災害や戦争による犠牲、もしくは、被害には明らかに因果関係がある。しかし、今回のフィールドワークのトークセッション「『痛み』の臨床と精神文化の諸相を知る」で問題となった「痛み」と「癒し」については、その両者間に必ずしもそうした関係があるわけではない。

聖書には苦しみや困難、難儀、「痛み」に類する記述がしばしばでてくる。しかし、そこから逃れる道筋は必ずしも明確ではない。極言すれば、ひとは死によって「神の国」にはいること以外、苦悩や苦悩、「痛み」から救われることはない、と聖書は言う。だから、わたしはキリスト教とは「苦難に耐える力を養う宗教」だと考えている。

結局、キリスト教は、苦悩や苦悩、「痛み」を簡単に「癒し」たりはしはないのだ。むしろ、苦しんだり、「痛み」を感じたりしている過程にこそ、その信仰の真価が発揮されるのではないだろうか。適当に、簡単に癒されたり、解放されたりする「痛み」はたいしたことはない。エジプトとバビロニア、ペルシア等々の大国に挟まれた小国のエルサレムは歴史上何度も蹂躙され、そこに住む人びとは他国へ拉致されもした。そのような土地に生まれたこと自体、すでに大きな苦悩や苦悩、「痛み」を負っていることである。そうであれば、そこからの解放など簡単に望んでも望めないことだ。ひとは、自分自身の努力では克服できない巨大で、根深い問題に直面したときに、神、あるいは、仏に頼り、そこに信仰が芽吹いていくのではないだろうか。だからこそ、人びとはその苦悩や苦悩、「痛み」に耐えるために祈り、「死による解放」を夢みながら懸命に生きたのではなかったか。

今回のフィールドワークで何回か眼にしたことであるが、何か大きな、つまり、民族的な、あるいは、人類的な「痛み」を措定した上でそれを稀釈し、解消しようとする、あるいは、それらによって「痛み」を負わされているひとや自然を救済すべく祈祷をする型をとった宗教がある。それについて、どうもわたしたちは、「犠牲を慰霊する」のアナロジーで、「痛み」があるから「癒し」が行われる、もしく、行わなければならないと錯覚してきたのではないか。しかし、琉球民族の反映や世界平和への祈りは、それをかなえることを目ざしたそれではないのではないか、としばらくして思うようになった。そこで出会った宗教者は、祈ることで自らや直面するできごとや境遇を上手く利用し、理屈づけをしているようにみえた。それが予定調和的にも見えるし、「事後予言」的でもある。また、現実と願望の乖離が厳然と存在するとき、自らの宗教の教義や理屈を媒介にして、現実の解釈を願望に近づける。そうすることで、現実から来る「痛み」に積極的な意味づけをし、自らを肯定する知恵を、出会った宗教者の方々の発言から感じた。

そのようなに考えると、キリスト教も、今回出会った宗教も、「痛み」を身にうけることを神や仏によるめぐみであると受けとめて、「痛み」をなめ尽くす過程で、人間として、宗教者としての自己を確立して行くように見えた。そのような型の宗教は、キリスト教以外にも多数ある。そのような宗教にとって、「救済」や「癒し」は、「痛み」に対応するものでは決してない。極端にいえば、「救済」や「解放」を自らめざしはしていない宗教すらある。それに加えて、キリスト教の場合、「救済」されるか否かは、信者個人の信仰の篤さに規定されるものではないとされている。「救済」は神の主権の範囲なのであり、個々の人間が救われるか否かは神のみが神の基準に基づいて決定するとされている。キリスト者はそのことに同意をして信仰を告白しているの(はず)であり、それでを「天に宝を積む」ために日々の生活を律して信仰生活を送っているの(はず)である。

その点でいうと、沖縄での「救済」や「癒し」のあり方は、古くは薩摩による搾取や、先島(宮古・八重山)における「孤島苦=島ちゃび」(琉球王府と薩摩による二重の搾取、あるいは、在番の役人が私腹を肥やすための三重の搾取)、近代以降の内国植民地化や、苛烈な皇民化教育、それに反して増大するいわゆる「沖縄差別」等々、直接本人には起因しない「痛み」を背負わされてきた歴史がある。そして、それらが存在したままでそれらに耐える力を養い、それらにこころを折られないよう、自己を励ましてきた。その大きな力になったのは、「字」や「門中(ムンチュー)」の人間関係であり、それらを単位に行われずっと維持されてきた祭でもある。また、民謡(島唄)や踊りもそうだった。『チャンプルー・シングルズ VOL.2 〜平和の願い(戦争と移民)』(東芝EMI)というCDがある。そのなかの、沖縄戦をうたった「戦世ぬセンスル節」(平良万吉唄)や、戦後の民間人捕虜収容所の生活をうたった「PW無情〜PW節」(金城実唄)、「屋嘉節」(松田永忠・石原節子唄)を聴いていると、自分たちのおかれた境遇を島唄というかたちで表現し、それをたくさんの人びとがそれぞれの想いでうたうことによって、悲嘆や決意等々の感情を共有してきたのだと感じた。

「慰霊」や「追悼」、それに「痛み」と「癒し」についてのわたしの視野は、これでも今回ずいぶん広がったように思う。

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