カテゴリー「学会・研究会」の24件の記事

2009年11月22日 (日)

学会参加、雑感

21日、22日と国際基督教大学で「キリスト教史学会」があった。この学会は、こじんまりとしていて、実にアットホームな雰囲気である(実際には、内部で、ときどき、いろいろなことが起こったりもするが………)。毎年同窓会のような雰囲気で、皆に会うことだけでも、とても楽しみな学会だ。わたしと同年代の研究者たちは分野が相当違うものの、互いに切磋琢磨しながら、年を重ねてきている。みな、それぞれに、とてもいい年の重ね方をしている。

しかし、危機は確実に近づいている。今回、24名の個人発表があったが、そのうち院生は、なんとたったの1名。ICUの隣の某神学校や関西のふたつの神学校からは、参加すらなかったのではないだろうか。わたしは、わたしで、自分のことをまだ若手だと思っているのだが、ほんとうの若手のはつらつとした発表がなくなってしまった。

8月の日本基督教学会では神学校からもたくさんの参加があり、院生の発表者もたくさんいた。しかし、あそこはあそこで、別の深刻な問題をかかえているように思う。詳しくは、別の機会の論じたいが、両学会とも存亡の危機は、突然、急にやってくるだろう。それを、ずっと未来のことではなくて。

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2009年4月20日 (月)

国際学会の学会誌

先日、投稿をしていた『東アジア宗教文化研究』の編集委員会から便りがあり、わたしが投稿した仲里朝章論、「米軍占領下における沖縄キリスト者の思想形成─1940年代後半の仲里朝章を中心に─」の創刊号掲載が決まった。同誌は昨年8月釜山で設立総会があった(わたしも出席して発表をした)「東アジア宗教文化学会」の学会誌である。

仲里朝章という、宗教研究はおろか、キリスト教研究の研究者でもほとんど知らない人物の思想形成と占領下での葛藤についてのわたしの研究に対して、意義を認めていただいたことは、素直に嬉しいと思った。書簡には「仲里という傑出したキリスト者が」とあったが、それには少し違和感があったが、それでもわたしが本稿で意図した「戦前・戦後の世界・日本・沖縄と向きあったかを通じて、現代の宗教のあり方を根底から問い直すものとなって」いるという編集委員会の評価は、わたしだけのものではなく、沖縄の、徳に米軍占領下で教会を形成してきた沖縄の教会とキリスト者に対してなされたものと了解している。

なお、3点ほど修正意見(勧告的意見ではなくて、参照的意見であったが)があったので、期限までにできるだけいいものに仕上げて、世界に送り出したいと思っている。

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2009年3月22日 (日)

歴史のリアリティ〜「宗教と社会」学会(本年6月)研究発表予告〜

このところ取り組んでいるのは、沖縄の1940年代後半。沖縄戦後、戦禍による荒廃のなか、米軍による統治がはじまった。人々は、生きることを最優先に、必死で生きていた。そんななか、沖縄のキリスト教は再出発する。その過程で生まれた「事実」をひとつひとつ発掘し、それを当時の政治的状況のなかに位置づけたいと考えている。それこそが、いま、わたしが追いかけている歴史のリアリティだ。

それで、以下の通り、学会で研究発表をします。

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戦後政治のなかの沖縄キリスト聯盟
─「新沖縄」建設をめぐる地域社会の対立と葛藤─

 発表者は、これまで主として米占領軍と沖縄のキリスト教との関係に着目して、戦後沖縄キリスト教史を捉えてきた。米軍は沖縄の軍事占領を円滑に進めるためにキリスト教を宣撫工作の一環として利用してきた。一方、沖縄のクリスチャンは、当初、米軍のチャプレン(従軍牧師)や熱心なクリスチャン兵士たちを戦後復興の同労者と考えていた。しかし、東アジアでの冷戦激化にともない占領体制そのものが変質していく過程で、沖縄教会の牧師・信徒のなかには米軍の意図に気づき、占領体制に対して異議申立の意思表示をする者もあらわれた。

 しかし、米軍との対比のみで沖縄キリスト教史を見ると、沖縄の地域社会や沖縄教会の内部にある矛盾や軋轢、また、その両者間にある緊張関係などを見過ごす恐れがある。沖縄人は、占領体制下でも、現在でも、決して「一枚岩」ではない。そこで、本報告では、1940年代後半、戦後復興めぐって沖縄住民のなかに様々な思惑が交雑している戦後政治の文脈に、沖縄のキリスト教を位置づけることで、「新沖縄」の建設を模索するなかで生じた沖縄人指導部や沖縄教会に生じた対立や亀裂、葛藤を探究していきたい。このような視座はキリスト教史研究では余り見られないものではないかと考えている。

 沖縄の戦後政治は、1945年8月15日、占領軍による沖縄諮詢会(以下「諮詢会」)の招集にはじまったことは知られている。しかし、すでに、それ以前に民間人捕虜収容所(沖縄島での戦闘の最中に米軍に保護された人々が収容された)では「市長」や「村長」の選挙(選定)が米軍も関与して行われており、その時点ですでに「政治」が生まれていたといえる。諮詢会とその後継の沖縄民政府(以下「民政府」)については議事録が公刊されている。また、諮詢会の15名の委員(幹部)のうち幾人かの手記や評伝がある。それらを見ていくと、戦後復興後と「新沖縄」の建設をめぐって、沖縄人のなかにも様々な思惑があったことがわかる。当時、「斬り込み」と称して米軍から「戦果」を挙げ、それを日本本土や台湾・中国大陸へ「密輸」する者も相次いだ。彼らにとって、戦後の混乱状況はその後の成功の足がかりとなった。また、沖縄戦でインフラや社会組織が破壊された。それゆえに、必要な情報の先取や物資の配分の権限をめぐって沖縄人のなかにも新しい「権力」や「政治」が発生する。

 この一連の政治過程では、戦後沖縄教会の中心となったいくにんかの人物の思惑が垣間見える。その者たちが中心となって結成したのが、沖縄キリスト聯盟である。1946年2月6日(「1947年1月9日」説もあり)に結成されたといわれる沖縄キリスト聯盟は、他では「沖縄キリスト教連盟」とされることもあるが、当事者たちは「キリスト教の連盟」ではなく、「救い主・キリストを頭(カシラ)とする連盟」という意味で捉えているので、報告者は「沖縄キリスト聯盟」という表記が妥当であると考えている。これに象徴されるようにこの組織については未解明の点が多くある。しかし、近年、報告者が発見した文書により、その実態が明らかになりつつある。そして、この聯盟に参加した個々の人物についても次第にその輪郭が明らかになってきている。

 本発表では、これら新資料の発見や人物像の研究の成果をふまえて、それを諮詢会・民政府の人脈・党派、政治行動と関連づけていく。そして、当時のキリスト教界の指導者たちも、「一枚岩」ではなく、現実政治のなかで対立する党派やグループにそれぞれ分かれて、それぞれの意図や思惑で活動してきたのではないかということを立証する。また、沖縄教会関係者たちは、「新沖縄」を構想めぐってそれぞれの党派・グループに別れて行動した。本報告では、そのなかでおこった対立や葛藤を実証する。

※ 第17回学術大会(大会ホームページ)
   開催日:2009年6月6日(土)、7日(日)[予定]
     場所:創価大学

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2009年2月 2日 (月)

【会場変更】「社会的コンテキストのなかのキリスト教」研究会

先日告知しました「社会的コンテキストのなかのキリスト教」研究会の場所が変更になりました。変更後は、以下の通りです。日時、発表者、演題には変更はありません。
どうかよろしくお願いします。

日時:2009年2月28日(土) 14:00〜16:00

場所:同志社大学扶桑館 102号室
    同志社大学今出川キャンパス(http://www.d-theo.jp/access.html

発表者:
  (1)杉田俊介(同志社大学神学研究科博士後期課程)
      論題:ユニテリアン宣教師ナップにおける日本宗教観
      参考文献:
        土屋博政『ユニテリアンと福沢諭吉』、慶応義塾大学出版会、2004年
        (無記名)「ナップ氏の国粋論」、『日本人』18-22、1888-1889年。
        Arthur May Knapp, Feudal and Modern Japan, Yokohama:
        The Advertiser Publishing, 1906.
 (2)徐亦猛(関西学院大学大学院神学研究科研究員)
      論題:中国におけるキリスト教本色化運動ー本色化の実践についての考察
      参考文献:山本澄子『中国キリスト教史研究』、山川出版社、2006年、
            月刊誌『文社月刊』、
            Daniel H. Bays "Christianity in China-From the Eighteenth
              Century to the Present", Stanford University Press, 1996.

                                     以上。

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2009年1月21日 (水)

研究会のお知らせ〜「社会的コンテキストのなかのキリスト教」研究会〜

「宗教と社会」学会の分科会である、「社会的コンテキストのなかのキリスト教」の研究会を、下記のとおり開催いたします。

関心ある方ぜひお越しください。

                 記

日時:2009年2月28日(土) 14:00〜16:00

場所:同志社大学扶桑館 102号室
    同志社大学今出川キャンパス(http://www.d-theo.jp/access.html

発表者:
  (1)杉田俊介(同志社大学神学研究科博士後期課程)
      論題:ユニテリアン宣教師ナップにおける日本宗教観
      参考文献:
        土屋博政『ユニテリアンと福沢諭吉』、慶応義塾大学出版会、2004年
        (無記名)「ナップ氏の国粋論」、『日本人』18-22、1888-1889年。
        Arthur May Knapp, Feudal and Modern Japan, Yokohama:
        The Advertiser Publishing, 1906.
 (2)徐亦猛(関西学院大学大学院神学研究科研究員)
      論題:中国におけるキリスト教本色化運動ー本色化の実践についての考察
      参考文献:山本澄子『中国キリスト教史研究』、山川出版社、2006年、
            月刊誌『文社月刊』、
            Daniel H. Bays "Christianity in China-From the Eighteenth
              Century to the Present", Stanford University Press, 1996.

                                     以上。

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2008年9月23日 (火)

キリスト教史学会と「神学校」の役割

キリスト教史学会での研究発表も無事終わりました。年間4本の学会発表は、わたしにとってチャレンジングなことでしたが、何か自信のようなものが自分の中に生まれました。

しかし、気になったこともありました。それは、今回の学会に同志社大学神学部、関西学院大学神学部、そして、東京神学大学からほとんど教員も院生も研究発表をしなかったことです。同志社の神学部長である原誠さんは参加しておられましたが、熊本バンドに関する基調講演をされただけで、自分のゼミの院生や学部生をつれてこられてはなかったような気がします。わたしの見落としでしょうか。それに引き替え、先週参加した日本基督教学会ではそれぞれの「神学校」から教員が多数参加していたし、院生も活発な研究発表・討論をしていました。だからこそ、なおさら、その落差を感じています。

神学校、特に大学の神学部の一義的役割は、専門的な知識や技能を持った伝道者を養成することにあります。しかし、それだけではなく、それぞれの関連学会で日本の神学を代表し、先導していくこともそれらの神学校の重要な役割ではないかと思うのです。

その点で、同志社や関学の神学部は、キリスト教史学会を見限ったということでしょうか。この学会は、日本基督教学会に比べると確かに神学プロパーの専門性では劣っているように見えます。しかし、この学会には牧師や神学部の教師・学生だけではなく、キリスト教系ではない大学の出身者やそのような大学で学んだり、教えたりしている人たちも多数参加しており、伝道者の歴史神学ではない、信徒としてのキリスト教史学を大いに論じています。その点で、これから伝道者になろうとしている人や神学校で神学を講じている碩学にも得るところの多い場であると思いますが、いかがでしょうか。

いま、日本のキリスト教界では「プロテスタント宣教150周年」の奉祝を契機に、その問題性が鋭く問われはじめています。これは改めて論じたいのですが、ベッテルハイムの琉球伝道を日本キリスト教史にどう位置づけていくのかや、そもそもなぜ「プロテスタント」だけなのか(フォルカード神父は、ベッテルハイムより早い1844年から2年間琉球に滞在したといわれる)など論じるべき問題は多くあると思います。

このようなテーマは、神学部やキリスト教史学会などで論じるべき大きなテーマになりうると思うのですが、しかし、わたしの出席した両学会ではそれについての言及はただの一度きりであったと思います。

さて、批判ばかりをしてきましたが、日本基督教学会での院生たちの熱のこもった研究発表を拝見して、思いました。それら熱のある学生をこれからどこに導いていくのか、神学校やそこで教鞭ととっておられる方々の責任はきわめて重いと。

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2008年8月 6日 (水)

出会い、再会

今回の釜山では、いろいろな出会いと再会がありました。

出発の空港に向かう乗り合いタクシーで出会った紳士に、金海空港で再開したときにとはとても驚きました。彼とは、一緒のホテルで、学会のでスカッションも、レセプションも、フィールドワークも、一緒。結局、帰りのタクシーでも一緒で、その時には、行きのタクシーと違って、いろいろなことを話しました。彼の家まで、わたしの自宅から徒歩で10分程度です。そんな偶然て、あるのやなぁと、今さらながらの思いました。

また、大学院で、専攻は違ったけれど、同じ授業にでたり、同じ研究室で討論したりしたかつての韓国人留学生にも、再開しました。彼がわたしを見つけてくれたのですが、今では韓国の光州で大学の教師をしているそうです。聞けば、教え子がわたしと彼が学んだ研究室の博士課程後期におり、この学会で発表するのだと言います。その教え子の発表も聞きました。荒削りで、修正したほうが良い点は多いのですが、迷いながらも、問題に真摯に取り組んだ、良い研究発表でした。

その他にも、初対面、再開も含めて、とても良い交わりの時間がもてたのですが、その中でも、一番嬉しかったのは、一昨年、我が大学で1年間学んだ釜山外国語大学校の元留学生がわざわざわたしと訪ねてきてくれたことでした。あの時の留学生は全部で4名。2名はソウルで、2名は釜山でそれぞれの道を歩んでいるとのこと。ソウルにいる1名は、実は夏休みということで、この7月半ばに日本のわたしの研究室を訪ねてきてくれました。孟一人のソウル在住の元留学生とは電話で話すことができました。

会いに来てくれたのは、釜山に住んでいる2名でした。それぞれ、仕事や勉強の都合で、一人ずつ会ったのですが、それぞれ、日本にいたときの印象と全く同じである反面、一方で、だんだん心が強くなっているなぁ、と感じました。

実は、最近、自分の教育にちょっと自信をなくしていたのですが、信じて、注ぎ込んだものは、自分が予想したり、望んでいることとは全く違う次元で、自分に返ってくるのだと感じました。

Iさん、C君、どうか元気で、自分の信じる道を歩んでください。また、再開できる費を楽しみにしております。

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2008年8月 2日 (土)

問いと答え

国外、国内にかかわらず、学会での研究発表を聞いていて、いつも思うのですが、発表のプレゼンテーションの後の質疑応答は重要です。この質疑応答は、自分の主張がいかに正しいかを誇示する場ではないと思うのです。

研究発表は研究者にとって業績の一つですが、それは、学界に、あるいは、社会に、世界に、問題提起をし、考えるための材料を適時する場でもあると思うのです。そして、質疑応答やその後との会場外での議論のなかで、お互いの認識を深めあい、議論をすることで新しい何かを共同で創造しているのではないかと思うのです。

だから、質疑応答では揚げ足をとるようなこともよくないし、鋭く突っ込まれて、小手先で、言い逃れをしても、決していいものは生まれない。

それから、大きな答えや成果を得るためには、大きな問いが必要です。自分がとっても大きな問いをかかえているのであれば、たかだか30分前後の発表と質疑ではそれに答えることはできないのです。確かに、若いうちは、大先生に突っ込まれてオロオロしてしまって、その場しのぎの答えをしてしまいがちですが、その質問に簡単に答えられるようではいけないとも思うのです。

さて、最近、器用な秀才が増えています。その一方で、「何で、自分が、この研究をしなければいけないのか」といった、心の底から絞り出されるような心情が著しく減退しているのではないかと主思うのです。

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2008年7月31日 (木)

明日から釜山。

明日から8月。1日から4日まで釜山に行きます。昨年、春についで2度目。釜山の東義大学校国際館で、東アジア宗教文化学会の創立記念国際学術大会が開かれ、それに出席するためです。

わたしは、この学会で研究発表をします。演題は

ある沖縄人キリスト者の被占領体験と新しい神学の創造
          ─仲里朝章の場合─

初めて、キリスト教史ではなくて、思想史っぽいことに挑戦しています。戦前、日本基督教会富士見町教会で植村正久から受洗し、その薫陶を受けた教育者である仲里朝章。仲里が沖縄戦を経験し、米軍の占領下にあって伝道者として建っていく中で、その困難な状況のなかで独自の神学や思想を産み出していったことを何とか伝えられたらと思います。多分、研究者の多くは、沖縄などに独自の神学があったなんて思っていないでしょうから。

6月中に報告のための原稿を提出しており、それを、日本、韓国、中国の留学生等で翻訳が行われ、当日それらが配られます。また、今月中旬には、急遽、韓国の院生の発表の指定討論者に指名されましたので、発表を日本語で読んで、コメントをします。

わたしの報告に対する指定討論者は韓国在住の日本人(?、だと思う)です(原則は日本人の発表者には韓国か中国の研究者が指定討論に立つのですが………)。そのコメントが昨日届きました。さて、日本人は案外沖縄のことを知りません。韓国や中国の研究者はなおさらです。届いたコメントを読んでいると、若干、相手方に理解不足のところがありました。それも、しかたのないことかもしれません。

わたしの使命は、沖縄のキリスト教のこと、教会のこと、キリスト者のことを世界中のなるべく多くのひとに理解してもらうことです。

会期中にはフィールドワークもあります。わたしが関心をもっているのは、鎮海にある海軍士官学校で「軍隊と宗教」に関する見学がることです。これは、占領下の沖縄のキリスト教を先行しているわたしにとっても、とても、興味があります。

さて、今回は、どんな出会いがあるのでしょうか。

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2008年7月25日 (金)

様々な実感(雑文)

先日、赤坂から銀座まで歩いてみた。東京で移動するときには、ほとんど地下鉄なので、実感はなかったが、こうして歩いてみると、巨大だと思っていた東京も案外広くないことがわかる。

そして、容赦なく照りつける夏の日差しが、わたしの身体に“今年の夏”の実感を植え付けた。その炎天下、休まず、小一時間、あるいは、2時間以上を歩き通せた実感が、心地よかった。

さて、銀座について久しぶりに教文館というキリスト教書店に立ち寄った。キリスト教史や沖縄のキリスト教についてはめぼしいものはなかったが、他では手に入れることが難しい学術雑誌を2冊と、『教団新報』(日本キリスト教団の機関誌)3号分を手に入れた。

同じ建物にある喫茶店で、汗まみれになった体を休めながら手に入れたばかりの『キリスト教社会問題研究』を開いた。この雑誌は数年前までわたしも活動をしていた同志社大学人文科学研究所が主催する「キリスト教社会問題研究会」の年刊誌である。最新号は昨年の4月に亡くなられた、T先生こと田中真人先生の追悼号であった。

研究会で顔を見知っている方々が、何名か、追悼の文章を載せておられた。そのうちのお一人は、先日亡くなられた土肥昭夫先生である。また、研究補助者として働かれていた方が、大学のポストに就かれていたりしたことを、そこで初めて知った。

喫茶店の生ぬるい冷房のなかで、それらの追悼と田中先生の思い出の文章を読んでいると、研究会での出来事がよみがえってきた。なぜか、とても、遠い日の出来事のような感覚であった。

そして、、また、それでも、田中真人先生が逝ってしまわれたという実感が、まだ、ほとんど、わたしの躯や、こころのどこにも、わいてここないことが不思議であった。ただ、心の目が同志社人文研に向けられ、目をつぶってあの暗い階段を昇っていくことを目の裏側に再現すると、その先に真っ黒な、そして、空疎な、空間が最近広がりはじめている。

実態のない実感だが、確かに、何かが、とても遠くなりつつあるのだ。

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