カテゴリー「本の紹介」の2件の記事

2007年3月31日 (土)

「集団自決(集団死)」は強制か〜証言者の声に耳を傾けよ〜

Book 「集団自決」を心に刻んで―沖縄キリスト者の絶望からの精神史

著者:金城 重明
販売元:高文研
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その時代を生きていた人が鬼籍に入っていくのをいいことに、次々と真実をねじ曲げようとする者がいる。しかも、姑息な手段を使って、である。微妙に表現を変えながら、いつの間にかそれを既成事実にしていこうとしている。

住民を守るといいながら、結局のところ、己のみおめおめと生き延び、住民を見殺しにした。それだけで、軍人として恥じいるべきであろう。──そう、わたしが考えているのは、軍人は道徳的倫理的存在であるという単なる先入観のなせる業である。軍人に道徳や倫理、節操を期待してはならない。そんなものは、ハナからないのである。それを証拠に、沖縄・慶良間諸島の守備隊の責任者は戦後生き延びて、自らの名誉を守ることに汲々としてきた。
(※「軍人のなかには例外的な存在もある」というような中途半端な留保はこの際つけないことにする。)

もうそのような者のことはどうでもいい。いずれ、天罰が下るであろう。また、教科書にどのような「捏造」がなされようと、わたしたちは恐れはしない。元来、「正史」とはそのように恥知らずの歴史でもある。

むろん、それらをひとつひとつ糾していくことは重要なことではある。が、それ以上に、証言者の証言をできるだけたくさん集めることである。そして、その人たちが戦後どのように生きてきたかを顕彰していくことである。

恥知らずにも、おめおめと生き延び、生き恥をさらしてでも、自らの名誉のみに固執し続けるもの戦後の人生。その哀れな生き様と、絶望の淵にたちながら、生き続け、なお、発言し続ける人の人生の輝きを比べてみればいいと思う。軍人・元軍人は戦争が終わっても、なお、民間人をまもらない。国家の過ちを隠蔽することで自らの名誉を軍や国家のそれに「偽装」して守ろうとしているだけだ。それに引き替え、自ら愛する肉親の命を奪った「罪」を告白しながら、その贖罪のために生き抜いた人の日々の崇高さ。

答えは、歴史が、自ずから出してくれると、わたしは信じている。

 

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2006年3月 9日 (木)

キリスト教と帝国主義の諸相

以下の4冊を落手。

① 石浜みかる『紅葉の影にーある牧師の戦時下の軌跡ー』(日本キリスト教団出版局、1999年)
② 堀井順次『敗戦前後ー満州キリスト教開拓団長の手記ー』(静山社、1990年)
③ 竹森満佐一『満洲基督教史話(アジア学叢書20)』(大空社、1997年)
④ 李省展『アメリカ人宣教師と朝鮮の近代ーミッションスクールの生成と植民地化の葛藤ー』(社会評論社、2006年)

①〜③は先日このブログに紹介した満州キリスト教開拓団関係の本。戒能信生「『満州基督教開拓団』のこと」(『福音と世界』2006年3月)に紹介されていたもの。いずれも当事者の手記。

④は、わたしの属しているキリスト教史学会のメンバーの著書。これまで朝鮮半島でのミッションスクール研究と2003年4月から1年間の米国ニューヨーク州立大学ビンガムトン校歴史学部への在外研究の成果である。

片や中国・満州と日本、片や朝鮮と米国・日本。フィールドは違っていても、帝国主義、あるいは、侵略の問題にキリスト教が深く関与してきた歴史を浮き彫りにする。この点で、わたしが沖縄キリスト教史研究の過程で日頃感じていることと共有する面が多い。

早く読みたいが、時間がない。でも、こうやって自分の視野を広げ、周辺地域での出来事のリンクしながら、沖縄のことを考えていきたい。

沖縄にとって、日本人のわたしは沖縄に対する抑圧者の系譜に連なっている。その点で、李省展氏とは問題意識は共有していると思うが、立場性・当事者性の違いを感じている。その自覚を持っているだけに、心配なこともある。以前公開した拙稿「沖縄理解のための方法と課題ー前後沖縄キリスト教史から学んだものー」(『福音と世界』2005.12)が沖縄でどう読まれているのかも知らない。できれば、近々、沖縄にそれを確かめに行きたいと思っている。

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