カテゴリー「広島」の3件の記事

2008年11月17日 (月)

明日の神話(改)

※ 試しに、携帯でブログに投稿してみたので、文章を打ち込んでいませんでした。

岡本太郎の「明日の神話」です。東京・渋谷の京王井の頭線へ向かう通路では、数ヵ月前から工事が行われていいました。この日(今月17日)夕方に通りかかると、完成していました。当分はガードマンがつくそうです。

     明日の神話
 

         明日の神話

さて、わたしは、どちらかというと「広島贔屓」なので、この壁画、やっぱり広島にあるべきではないかと思う次第です。しかし、この通路、どこにそんなにひとが住んでいるのか、一日に35万人の人が通るそうです。35万人といえば、宝塚市の人口の約1.5倍。高知市や吹田市の人口に匹敵する規模。多くの人に、見てもらいたいということなのでしょうか。

この日は、最初だからみんな(わたしもそうですが………)携帯をかかげて、ぱちぱちやっていました。しかし、毎日眺めていると、風景化しそう。35万人とときどき通るひとり(わたし)は、何を思うことなく、通り過ぎていくような気がするのですが。

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2008年8月 7日 (木)

ことばで伝える、広島8・6

63年目の「8・6」。この日の朝は、いつも、暑かった広島の夏を思い出す。

さて、最近、韓国からの留学生に広島のことを話す機会がありました。広島が、まだ、「廣島」だったころのいわゆる「加害の歴史」、原爆投下の経緯と理由、その後の「ヒロシマ」のことも話しました。また、広島・長崎での被爆と沖縄戦の比較、在韓被爆者など広島と韓国の関わりについても話をしました。

広島での出来事について写真集や編集されたビデオ(ちょうどわたしが広島で学生生活を送っていた頃「3フィート運動」というのがありました)など、視覚に訴えて話をすることも可能でしょうが、わたしは、文字と話にこだわりました。

広島大学の一般教養の講義であった「戦争と平和に関する総合的考察」で、二つの写真を見せられました。いずれもベトナム戦争時の写真でしたが、一枚はB52が爆弾を多数党化している写真、もう一枚は南ベトナム軍兵士が北のベトコンを射殺している写真。それらの写真を見せたうえで、講師はどちらの写真がより残酷であると思うか、学生に問いました。

大半の学生が後者の方が残酷であると答えたのですが、講師に指摘されずとも、前者に「写された多数の爆弾の行く末を想像すると、そこには阿鼻叫喚の地獄があり、多数の犠牲者が確実にいるのです。それなのに、目の前で殺されている一人の方が残酷だと、人間は思ってしまうのです。

だから、わたしは、文字とことばにこだわっています。

写真やビデオをただただ提示するだけでは、広島の被爆の意味が「戦争」に一般化されてしまう恐れがあります。また、徒に感情に訴えることは、単純なメッセージしか生みません。それは、それなりに力をもつのですが、わたしはそれに加えて考えてほしいことがありました。広島や長崎の原爆の特殊性を強調するためではありません。

戦争はどうして起こるのか。

その結末はどうなるのか。

そして、それを止めるために、自分や世界はなにができるのか。

そんなことを、これを機会に考えてほしかったからです。

さて、あしたから、また、「ヒロシマ紀元」からかぞえはじめた年数が一つ加えられます。

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2007年8月 6日 (月)

留学生と「8・6」

「8・6」。原爆忌。

広島に住んでいたとき見上げたこの日の空の蒼さと、夏雲のことを思い出す。黙祷の静寂とセミの声を思い出す。早暁に川辺に蹲る老人の悲しみを、この日に、ありったけの想像力で想像してみる。8月7日、祭りの後のような広島の街を思い出す。それからまた1年、この街は、忘れ去られるのだ。果てしなく続く、核実験。大国も、小国も、豊かな国も、貧しい国も、核武装をしたがっている。

さて、ここ数年留学生向けの授業(「ニホンゴ・ニホンジジョウ」とかいう)を担当していると毎年必ず、韓国の留学生と原爆の投下についての議論になる。

韓国から来た留学生は、大多数が、広島・長崎への米軍の原爆投下は「しかたがない」ものであるとし、そのおかげで自分たちが解放されたとは言わないが、それによって戦争が終わったと認識している。また、彼らは、原爆投下により日本上陸戦は行われなくなり、日本人にも、米軍にも、“無駄な”犠牲者が出なくて済んだとも認識している。

このような認識は、一般的な米国人のそれと“瓜二つ”。恐らく、原爆関連の知識は米国や韓国駐留の米軍から得ているのであろう。

そのような認識は、明らかに、事実とは異なっているのだが、やはり、韓国人の彼らもそれを“信じて”いるのだ。その彼らに、わたしは以下のことを話す。

米国は日本が既に降伏の条件闘争(「国体護持」)に入っており、幸福寸前であったことを充分察知した上で原爆を投下している。それよりも、むしろ、米国はソ連の動向を注視しており、日本がソ連の参戦で降伏したという「事実」を既成化したくないと考えていた。また、米国は既に“次”の戦争、即ち、その時点での同盟国であるソ連とのイデオロギーをめぐる戦争(=のちの冷戦)の準備に入っており、そのために原爆の破壊力を実践で試し、できうる限りの情報を収集することが目的であった。つまり、米国にとって、広島・長崎への原爆投下は、20万人の一般市民(そのなかには、朝鮮人もいたし、米国人もいたが)を犠牲にし、それ以後の被害者をも対象とした「実験」であった。

そして、広島で被爆した朝鮮人のこと、そして、戦後、それらの朝鮮人に対する原爆症治療のための渡日治療に尽力した広島の医師たちのことや朝鮮戦争でも原爆を使用しようとして解任されたマッカーサーのことなども話す。

それでも、韓国人留学生たちは、じゅうぶん納得したわけではない。そんな彼らにわたしは、次のように説明を続ける。

広島で核廃絶を願っている人たちは、自分たちのことを一方的な被害者とは決して思っていない。日中戦争から太平洋戦争に暴走した日本軍が朝鮮半島や大陸などでしたことも充分学んだ上で、自分たちの背負った加害性も理解している。

それから、百歩譲って、原爆投下が、韓国人留学生の認識と同じ意味を持っていたとしても、そこで起こった事実は倫理的に容認できる範囲であるのか、広島に行ってそれを見て、聞いて、感じてみるべきだと、わたしは続ける。皇軍の戦争の非道の応報として、植民地支配や侵略の応報として、原爆を一般市民の上空で炸裂させるということは、論理的にも整合性がないし、当時の道徳や倫理でも決して容認しがたいということを、わたしは、彼らに直に学んで欲しいと思っている。

これまでに、留学期間内で広島を訪れた留学生はいない。しかし、わたしが彼らの心に投じた一石は、時間はかかっても確実に波紋を広げていくと、わたしは信じている。それは、核廃絶に向かう被爆者たちの絶対的な「正しさ」を信じているから。また、それを踏みにじって、その非道をなお意識しない米国人が核を保持し続けていることが、絶対に「普成」であることを信じているからである。

ヒロシマ紀元63年が、またやってくる。

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