カテゴリー「軍隊・基地」の14件の記事

2009年10月24日 (土)

「沖縄」の決断か。国民の決断か。はたまた、政府の決断か。〜再び霧のなかの普天間・辺野古〜

────普天間基地の辺野古沖移設か、県外移設か、嘉手納統合か。

この問題を、鳩山由紀夫首相は次期県知事選や名護市長選で示された「沖縄」の民意にしたがうと一時期いっていたという。選挙で示された「民意」をみて態度を決めるというのは、単に民主主義の偽装に過ぎない。そもそも沖縄の米軍基地は「沖縄」の問題ではないのだ。それは、国家の問題であり、国民の問題でもある。それを、なにゆえに、沖縄県民や名護市民に判断するように強要するのだ。

米軍基地が決して日本国民を守るためのものではないことは明白だが、百歩譲ってそのような日米両政府の主張にしたがうにしても、それならなさら、普天間基地周辺の危険性も、守ってもらっている日本国民の問題なのだ。だから、自分が住んでいる地域に積極的に米軍基地を受けいれる意思がないのなら、せめて国民ひとりひとりの判断で、普天間基地の県外移設を足がかりに、沖縄の米軍および日本軍(自衛隊)基地の撤去を目ざして、発言し、日本政府(民主党・国民新党・社民党連立政権)に圧力をかけよう。

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2009年3月30日 (月)

「守りたい人がいる」からPAC-3配備、そして、「蛍の光」へ

細かな話は省略するが、最近、ある無料動画サイトで韓国の時代劇をよく観ている。「朱蒙」が2話ずつ定期的に配信されている。「朱蒙」はとても面白い。が、今回はその話ではないので、それはまた、後日。気になっているのは、番組中に30秒程度流される「CM」のなかの自衛隊のそれである。

「陸自」のCMのキャッチフレーズは、「守りたい人がいる」。考えると、意味不明です。まず、主語は何だろう。そして、目的語は? つまり、「誰が、誰を、守りたいのか」が全くわからないのです。基本的には、「陸自」へのリクルートを目的としているCMだから、「家族か友人、恋人たちを守りたい人は、陸自へ」ということだろうか。

それから、もっとわからないのは、そのリクルートのシンボルマーク。北海道・本州・四国・九州を図案化したものを両手で大事そうに守ろうとしている。たぶん、自衛隊員の手が日本を守ってるということだろな。そうすると、さきの「守りたい」の主語は自衛隊、目的語は日本ということになる。

しかし、その日本の中には、小笠原も沖縄も入っていない。沖縄には「陸自」がいないから? とも思ったが、調べてみると、沖縄にも「陸自」の基地(演習場)はあり、隊員の募集もしている。なるほど、「陸自」は沖縄を守る気なんかない。小笠原もね。

それで、合点がいったのは、北朝鮮の「飛翔体」に対応するPAC-3の配備だ。4月の初旬の「予定日」にむけて、予告の飛行コースにあたる地域にPAC-3が配備されるらしいが、それとは別に、首都、つまり、東京にも配備されるという。

桜の花を前面に、住宅団地を背景にして、斜め上の虚空のどこかにねらいを定めて、東京・市ヶ谷の防衛省内のグランドに配備されたPAC-3の図は、確かに事態の異常さと、禍々しさを演出している。しかし、本当に異常なことは、つまり、あってはならないことは、実はこの写真の外側にある。

断っておくが、わたしは、自分や家族の命をPAC-3で守ってほしいとも思っていないし、守れるはずがないと考えている。つまり、国民のひとりひとりの命が、いっさい傷 つかず、失われないためには、「飛翔体」をのものを発射させないことだ。戦争の場合もしかり。戦争を起こさない、起こさせないことが、戦争から国民全体の 命を守る、唯一の方法である。

さて、PAC-3は、「飛翔体」の予告コースの真下にある秋田や岩手にも配備されている。これは、もし、万一、予告のコースを「飛翔体」がそれた場合に、それを打ち落とすという名目らしい。そのほかには、東京と首都圏にのみ配備の上、稼働している。しかし、「飛翔体」は本来自由で、どこに行くかわからないのだ。ここに、軍隊の本質が表れている。そう。軍隊は、国民全体を守るためのものではない。軍隊は一義的には国家と体制を守るためのもので、その結果として、副次的にいくらかの国民の命が守られるに過ぎない。

わたしが、違和感を持っているのはそこのところだ。そして、冒頭の「守りたい人」のことにも共通する。「陸自」は、「陸自」として、「自営」の名を冠しながら、東京を中心とする日本本土だけを守る。沖縄を含む南西諸島・琉球列島や小笠原の島々は守る意思がない。小笠原の島々は東京都なのだが。

さて、わたしは、ここまで書いて、「蛍の光」のことを思い起こした。3月、日本中の学校という学校の卒業式で歌われる文部省唱歌。これには、3番と4番の歌詞がある。

3 つくしのきわみ、みちのおく、
   うみやまとほく、へだつとも、
   そのまごころは、へだてなく、
   ひとつにつくせ、くにのため。

4 千島のおくも、おきなはも、
   やしまのうちの、まもりなり。
   いたらんくにに、いさをしく、
   つとめよわがせ、つゝがなく。

本州、四国、九州(そして北海道)は隔てなく、ひとつになっていて、沖縄や千島から守られている。つまり、沖縄は、琉球処分以降、このかた、ずーっと、守られないのだ。それが、こんなに露骨に、遠慮なく、躊躇なく、明らかになる。そんな時代を、わたしたちは生きているのだ。


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2008年12月20日 (土)

「復帰」と「合同」〜教団は暗闇を見ていたのか〜

ノワール小説やハードボイルドというのは余り趣味ではないので、ほとんど読んだことがない。『不夜城』は映画で見たけれど、馳星周の小説も初めてである。

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弥勒世(みるくゆー) 下 Book 弥勒世(みるくゆー) 下

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歴史は、理想やイデオロギーによって変わることもある(と、信じてる)。しかし、歴史は《きれい事》ではない。汚辱や憤懣に溢れていて、その上、捏造や隠蔽が日常茶飯に行われている。そんな薄い嘘事を引きはがすように、慎重にきれい事では済まされない歴史を描いてみたいと思っている。

本書の舞台は「本土復帰」前、米軍占領下の沖縄島。――そこには、沖縄人どうしによる宮古や奄美への差別があり、アシバー(遊び人、不良、または、ヤクザ)の暗躍があり、売春窟がある。そして、黒人米兵と白人米兵との間に根深い対立があり、米軍やCIAに飼われる「犬」がいる。「犬」は「犬」としての存在に悩み、やがて自我に目覚めたとき、その飼い主の喉笛を噛みきる。

さて、「吉原」は、本書にしばしば出てくる旧コザ市の「特殊飲食街(特飲街)」である。本書では、そこで売春が行われていると書かれているが、その「吉原」 の一角に、日本キリスト教団コザ教会はある。現在の会堂は1965年献堂というから、まさにこの小説の時代に重なっている。

以前、コザ教会で牧会経験がある牧師お二人にお話をうかがったことがある。それによると、コザ教会がこざ「吉原」に隣接する場所に建っているのは、決して偶然ではない。コザ教会は、早世したある神学生(沖縄出身者、同志社神学部の大学院在学)の提案で、「基地の街でも最も人間性が抑圧され、疎外されている地域の一隅」(日本キリスト教団コザ教会『未来への扉—沖縄戦の証言—』(同教会、1998年)p.130)を選んで建てられた。このような尊い志をもとにしてこの教会は建てられたのであるが、その志を通すには相当な困難がともなった。

この「吉原」は、「アシバー」の支配する場所でもあった。

ある日、吉原で働いているひとりの女性が牧師館を訪ねてきた。…(中略)…今のように自分この世界へ転落している原因を語り、生きているのがいやになると。また暴力団の管理からどう逃げることができるのかと、真剣に語った。…(中略)…彼女は、確か3回ほど礼拝に出席してから、それ以後ぷっつりとこなくなった。訪問してみたら、その店にはいないということだった。
教会へ行ったということで、男の人に殴られ、今どこに行ったか、だれも知らないとのこと。これまで教会の庭に来ていた彼女たちは、そのことがあってからは誰一人として来なくなった(名嘉隆一「基地の町に生きる教会」(前掲『未来への扉』に所収)pp.138-139)。

また、教会の前には現在でもちょっとした広場あり、現在はどうなっているか確認していないが、献堂当初はそとにトイレもあった。朝になると、広場の芝生には塵紙や汚物が散乱しており、トイレには嘔吐した後寝込んでしまった女性がいたという。また、広場である時は男女が重なり合ったまま眠り込んでいたともいう。当時は、教会の敷地のなかにあった牧師館に住んでいた牧師と牧師夫人の毎朝の最初の仕事は、それらの汚物や散乱する衣類を片付け、眠り込んでいる女性を起こすことからはじまったという。

その結果、「吉原」と教会の間にはブロック塀ができる。また、牧師は牧師館から離れ、教会と離れたところに住むようになったという。当時の牧師が牧師館を引っ越したその日に、牧師館はボヤで全焼した。これは、キリスト教の惨めな敗北ではない。苦闘の果ての、苦渋の決断であったろう。わたしたちは、この教会の信徒や牧師の苦悩を心に刻むべきであろう。

さて、B52の墜落事故、毒ガス漏れ事件とレッドハット作戦、コザ暴動。そのような混沌は米軍を頂点とする権力構造をも飲み込んでしまっている。そこにやってきた「活動家」と称する日本人たちは、そのような現状を全く把握できないでいる。それでいて、自分たちで沖縄に起こっている事態を解決できると信じ込んでいる節がある。彼らは、強烈な使命感があり(いったい誰に与えられたのだろうか)、その上、自らの良心を信じているだけに、その滑稽さが際だってしまっている。

そのような1970年を前にしたこの時代。日本キリスト教団(日本基督教団)は沖縄キリスト教団と合同した。

そして、その合同を実質化するという名目で、日本の教会関係者による「沖縄セミナー」が、1970年1月、沖縄で開催される。しかし、この試みは初回から躓く。

このセミナーの期間中(第三日)に全軍労の四十八時間ストが決行され、本土出席者の中には、自分の目でこれを確かめるため、また全軍労のストはセミナーに直結する問題であると考えて幾人かがこれに参加した。しかし沖縄ではこのようなことは日常的なことであり、セミナーに参加することこそ、全軍労の人々と行を共にすることである、という考えのようで、本土と沖縄の問題意識は食い違っていた。この二十五年の隔たりからくる意識の食い違いを直視することから、沖縄問題への取り組みははじまることを認識させられた。(「沖縄こそ教団の課題/沖縄セミ終わる」『教団新報』1970年1月24日)

合同した本土教団と沖縄教会の「隔たり」がはっきり現れた瞬間であった。そして、その「隔たり」の認識に沖縄教会は以後敏感になる一方、本土教団ではその後もほとんど自覚されていないように思う。セミナーに参加した本土教団の人々は少なくとも沖縄の教会を理解しようと努力し、いわゆる「沖縄問題」についても問題意識をもっていた。しかし、そのような人々でさえ、沖縄教会が本土教団に何を求めているのか全く理解できなかったということである。第1回沖縄セミナーの後、『教団新報』ではセミナーの参加者から全軍労のストへのカンパが何度も呼びかけられている。わたしは、そのことを批判することはできない。しかし、そこに沖縄教会の問いかけに応える用意はあったのであろうか。

これらに象徴される両者の認識の「隔たり」についての本土教団の過小評価により、わずか2回で中止された。

先述のコザ教会の試みは沖縄の他教会でも見られることであろう。そのような日常の伝道と宣教の営みに、寄り添うこと。それは、本土教団に所属するわたしたちにとって相当難しい、その解決継続中の課題である。

「弥勒世」。「弥勒」だから、現在仏教と強い結びつきがつよい思想というわけではない。しかし、そこに存在する憎しみや恨み、悲しみや苦しみ、混沌と暴力などを乗り越えようとする祈りがそこにある。その祈りに、当時の沖縄教会の人々は心を合わせていたに違いない。その祈りに込められた思いやその意味を、わたしは、少しでも理解したい。本書を読みながら、そう強く思った。

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2008年9月16日 (火)

三浦半島、バスの旅

さて、学会は、関東学院の金沢八景キャンパスで行われた。宿泊している横須賀からは京急でそんなに時間はかからない。しかし、ふとバスはどうだろうと考えて、路線図を検索すると、横須賀中央駅前から最寄りのバス停まで直通の路線があることを発見した。ホテルの人には、そのルートは抜け道がないので朝の時間帯は渋滞していて時間が計算できないと忠告されたが、比較的時間に余裕があったので、バスで行ってみることにした。

バスは、並木が美しい横須賀中央大通りを経て、国道16号線を行く。JRの横須賀駅前を通りかかる。そこは、バスから見た印象だが、京急の横須賀中央駅や汐入駅などとは違い、街の印象がない。山が逼った駅と、民家やマンションが道路沿いにあるという感じだ。

やがて、片道に車線の道路が対面通行になり、何度も何度も短いトンネルが繰り返しあらわれる。地形図を見ると、いくつかの湾があって、そこに集落があり、それらの集落が海に向かって突きだした山で孤立するかたちになっているようだ。おそらく、この道路が出来るまでは陸上交通は相当不便だったろうし、船で行き来をしていたのかもしれない。

途中、JR・京急田浦や追浜で乗客が入れ替わり、終点の内川橋ではわたしひとりになっていた。

さて、横須賀には米軍基地(旧横須賀鎮守府)があり、自衛隊の基地もある。また、ペリー艦隊が上陸した久里浜はその近くの浦賀には防衛大学校もある。つまり、首都・東京をひかえた防衛の拠点となっている。東京湾の出入り口になっている浦賀水道とこのトンネルだらけの対面交通の道路。それを見ながら、この街並みと街路には国家の意思が込められているように思う。

横須賀といえば、山口百恵の「横須賀ストーリー」を思い出す。「これっきり これっきり もう これっきりです?」 

急な坂道 駆けのぼったら
      今も海が 見えるでしょうか
      ここは横須賀
 

その意味が、少しわかったように思った。

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〔短報〕はじめての横須賀

明日からはじめて出席する学会で、
   明後日研究発表をするために、
      はじめて、横須賀に来ています。

沖縄とは違ったような、
   しかし、
      コザの街にどこか似ているような………。

「club alliance 」の前を通ったが、
   そこは、米軍横須賀基地(U.S. Fleet Activities Yokosuka)の入口だった。
      そこには、日本の警察の交番があり、警官が、ひとり、警備に起っていた。

惜しいことに、
   ゆっくり散策する暇はないのだが、
      空気は、ちょっとだけ、吸えた。

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2008年7月19日 (土)

今度は………

「離島と病人とスパナ」だと。しつこい。

離島で急病人が出たときに、自衛隊が活躍する。しかし、本当に離島の急病人を救いたいと考えているのなら、離島に総合病院をつくり、複数の医師を配置する。それを維持するコストと、自衛隊を維持し、ときどき離島の急病人を救うコストは、その安心感も加えて考えル必要があるだろう。やはり、事実を限定的に提示して、隠蔽をすることで、錯誤を狙っているのだろう。

それに、「平和を、仕事にする」も目障りである。

自衛隊の隊員のなかには、「自分たちは、平和を、仕事にする」信じているひともいるだろう。その善意は否定しない。しかし、現実には、自衛隊員個々人では、それぞれがイメージしている平和を守れない現実がある。

それから、平和を、「守る」ではなく、「仕事にする」だから。「守る」もあれば、「壊す」も、可能性としてはあるのだ。しかし、「守る」と誤解する恐れもある。

また、日本や日本の同盟国のである米国の「平和を、仕事にする」ことで、それ以外の国の「平和」を侵害することもあるだろう。

さて、この広告は、これらの可能性を考えさせる思考を巧みに奪っていく。そう。立ち止まって考えてみよう。想像力が、わたしたちの武器だ。

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2008年7月10日 (木)

おたまは、おたまだけで、赤道を越えていくのか。

最近体の調子が今ひとつ。ひとつは、足が故障がち。もうひとつは、左目の下が頻繁にピクピク痙攣して、痛いというわけではないけれど、とにかく鬱陶しいかぎりです。

さて、そんなこんなで、ちょっとブルーな通勤電車で、もっと不快になるような広告を見つけた。タイトルは

「再び、赤道をこえるおたま」

ちょっと見ると料理に使う「おたま」がまな板の上に置かれている写真。何の広告なんだろうと目をこらすと、自衛隊の隊員募集の公告であった。細かな文字でいろいろ書いているが、ここでそんな者紹介する義理もないし、やめとくが、とにかく、姑息な広告である。

おたまが、おたまだけで、赤道を越えるなんてことはありえない。そう、赤道を越えていくものの問題性、それが赤道を越えることがどんなに問題であるかということを、一切捨象し、隠蔽しているかのように思える広告。きっとどこかの広告代理店の民間人が考えたのだろうが、そんなことが真理とおるご時世になったことに、冗談ではなく、戦慄を覚える。金さえもらえば、何でもやるのか。

カレーづくりや物資の輸送だけは、赤道を越えていく自衛隊の使命や目的ではない。それを、前面に出して人集めをしている。それにひかれて自衛隊に入隊したら、結果的に破壊や人殺しの訓練をさせられる。これは、詐欺的手法ではないのだろうか。または、偽装広告か。

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2008年5月15日 (木)

〔遅報・学会発表要旨〕国家、地域、教会〜沖縄キリスト教をめぐる二つの国家と地域社会〜

沖縄キリスト教史において「国家とキリスト教」という問題を措定すると、日本本土(以下「日本」)の他地域のそれとは異なった課題が生じる。近代以降も、沖縄は日本とは違った経験してきた。また、日米の二つの国家に挟撃される沖縄の位置を考慮すると、そのキリスト教史を自立的に論ずるならば、国家とキリスト教、あるいは、国家と教会との間に、地域社会を中間項に設定しなければ、そこで生じた歴史的事象をとらえきれない。

それを前提に米軍占領下の沖縄キリスト教史を粗描するならば、その構成要素は、①沖縄人(地域住民、キリスト者)、②米国人(米軍人・軍属とその家族、チャプレン(従軍牧師)、米国人宣教師)、③日本人(国民、日本の教会関係者)の三者が考えられる。そして、それぞれがそれぞれの思惑で思考し、行動する過程で、国家意思がどう実行され、貫徹されていったか、その解明が課題となる。

ここに沖縄における教会形成と国家の関わりを示す興味深い資料がある。『キリスト教年鑑』二〇〇七年度版によると、沖縄県の教会は三三〇余り、信徒数は約三九,〇〇〇名で、県人口の二.八二%が教会員となり、日本の他の地域に比べて三倍近くになる。さらに各地域別に教会数・信徒数・対人口信徒比を見ていくと、沖縄キリスト教のある特徴が鮮明になる。教会と信徒は人口分布通り、約九割が沖縄島に集中している。ところが、沖縄島でも米軍基地が集中している中部地区には、県都・那覇を含む南部よりも人口が少ないにもか拘わらず沖縄全体の四三.二〇%の教会が集中し、信徒の割合は三.七六%にもなる。これは全国平均の四倍弱である。さらに、中部地区の教会はペンテコステ系やいわゆる「福音派」系の教会が多いことがわかる。

これは、単なる偶然ではない。発表者の聞き取りによると、中部地区の「福音派」系諸教会のいくつかは、米軍基地に頻繁に出入りでき、基地内の信徒やチャペルで交流をもっているという。また、このような「福音派」系諸教会には積極的に平和運動を行っている教会もあるが、それでも米軍批判の言動はあまり聞こえてこない。沖縄におけるキリスト教人口と教会の偏在は、米軍の駐留との関連を想起させる。そして、そのような関係は、日米両国の圧力により歴史や政治の矛盾が沖縄地域社会に収斂した結果でもある。このように、駐留軍が、国家意思に基づき牧師や信者、教会を通して沖縄地域社会に自らの有用性や友好的姿勢を顕示するとき、沖縄の教会は自ずと二分されていく。

本報告では、そのような沖縄教会の現状をふまえて上で、沖縄教会と国家の関わりを省察するために、チャプレン(米軍従軍牧師)と宣教師(団)の実態とその役割について考察した。

その結果、以下のことが明らかになった。まず、一九五〇年代に本格化する米国人宣教師による沖縄伝道は沖縄占領軍や東京のGHQの奨励と支援の元で実現された。そのような宣教師は、多くの場合、米軍の沖縄駐留には肯定的で、なかには沖縄の基地外で「英語教会」と称する米国人の教会をつくり、それらを背景に沖縄のキリスト教界に大きな影響力を及ぼそうとした宣教師もいた。

また、一九六〇年から七〇年にかけて、在沖米軍基地には二〇余りのチャペルがあったが、そこで牧会にあたっているチャプレンは、牧師であると同時に現役の将校でもあった。彼らは、時に、兵士たちを軍の意向にそって教導し、監視したりもした。また、チャプレンは最寄りの教会の牧師や信徒を通じて沖縄の地域情勢に関する情報を入手し、占領軍当局の意向をそれとなく地域住民に伝えるように促した形跡がみられる。

このように、沖縄在住の米国人のキリスト者、つまり、宣教師やチャプレンたちは程度の差はあれ米国の立場を擁護する役割を担っていた。そのため、沖縄の地域住民にとっては、キリスト教は米国の宗教であり、米軍の宗教であるという認識が強く、沖縄教会は地域社会で伝道する際に米国や米軍の動向に配慮せざるを得なかったのである。

米軍基地の駐留を巡りつねに分裂を余儀なくされている沖縄地域社会と、伝道する際に地域社会の亀裂を無視できない沖縄教会の「現況」は、こうした環境下で形成されているといえる。

(「キリスト教史学会第58回大会」(2005年 9月15日、於恵泉女学園大学)での研究発表要旨。『キリスト教史学』第62集(2008年7月)掲載予定)

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2008年2月21日 (木)

「記録する」ということ。

仕事柄、全国各地の公文書館や図書館をよく訪れる。公文書館や図書館は、よく「民主主義の砦」と呼ばれる。権力が覆い隠したり、バラバラにして、偽装したりしているものを、明るみに出すためには、地道に隠され、バラバラにされ、偽装されたものを、掘り出したり、つなげ合わせたり、暴いたりしなければならない。

さて、きょうも、沖縄でフィリピン人女性が犠牲者になる事件が発生。今度は、容疑者の米兵は基地に逃げ込み、まだ、逮捕されていない。

それから、イージス艦と漁船の衝突事故。「イージス艦、漁船団を避けず直進 僚船GPSで裏付け」とのこと。10数トンに満たない漁船の残したGPSの記録が、自衛隊が隠し、防衛「省」が隠しているかも知れないことを、暴き出している。

「記録する」ということ。やはり、これはわたしたちの民主主義を守り、権力を告発するための重要な手段である。

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命は、守らない。そして、また、隠すのか。

在沖・日米軍兵士による、相次ぐ事件。ワザとか、と思われるほど続いている。誘拐・監禁・強姦、飲酒運転、家宅侵入、偽札使用………。きっと、もっと、続くだろう。そして、だめ押しが、海上自衛隊(海の日本軍)のイージス艦と釣り船との衝突事故。

軍隊は、人を守らない。このことは、既に周知のことだ。

無論、軍隊の中にも、市民・国民を守りたいと思ってその職に就いた人はたくさんいるだろうし、その志が軍隊に入ってからも変わっていない人もいるだろう。しかし、そのような志とは別に、軍隊の目的やシステムから見ると、軍隊に市民をどんなときも守らなければならない義務はない。軍隊にとって外に大事なことはたくさんある。そして、その国民の生命財産よりも大切なものを守ることを第一義的な義務として軍隊は存在している。その結果、救われる国民のあるだろうが、それは、あくまでも副次的なものでしかない。

さて、千葉の漁師さんたちが「軍艦」と呼ぶ巨大船に真っ二つ(実際には中央の環境部分が失われているので、残ったのは船尾部分と船首部分)にされた船は、現場検証のために何処に運ばれた、御存知だろうか。

答えは、「   神奈川県横須賀市の海上自衛隊船越基地」。

つまり、容疑者となり被告となる可能性の高い組織の排他的領域へと「犯罪」の証拠物になるであろうものが運び込まれている。そして、二転三転する、一方の当事者の「証言」と、いまだに発見されていない、つまり、肉声の聞くことができない他方の当事者。このアンバランスの中で、事実は隠蔽されようとしているのではないかと危惧する。

何年か前の潜水艦と大型釣り船の衝突事故では、航泊日誌が改ざんされたという。また、少し次元の違う話だが、「従軍慰安婦」や「南京大虐殺」、そして、以前にここでも触れた沖縄戦での「集団自決」などの諸問題でも、軍隊は、軍隊の上層部とそれに連なる政府機関は、国民の平和や唖然、安心のためではなく、自らの名誉を守り、ひいては、自らが所属する国家の名誉を汚さぬように、事実を隠蔽し、新しい事実を捏造し、それを文字に記し、敷衍して、歴史を作りだすことで、目的を達成しようとしてきた。

──また、隠すのか。(※ 例えば、ここ)

その、思いだけが、無念と一緒に募っていく。

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