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<title>沖縄フィールドワーク〜軍事占領・キリスト教史・地域文化研究〜</title>
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<description>わたしの主たる研究テーマである沖縄戦後キリスト教史の研究成果や、フィールドワーク(文献調査・聞き取り調査)の方法等についてのブログです。</description>
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<title>恥の上塗り</title>
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<description>先述の小沢一郎民主党幹事長の「キリスト教とイスラム教は、独善的」発言に対して、日本キリスト教連合が、抗議文を送ったらしい。それで、ちょっと探すと本文がここにあったので、転載する。 民主党幹事長　小沢一...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;先述の小沢一郎民主党幹事長の「キリスト教とイスラム教は、独善的」発言に対して、日本キリスト教連合が、&lt;a href=&quot;http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/091116/stt0911161921005-n1.htm&quot;&gt;抗議文を送ったらしい&lt;/a&gt;。それで、ちょっと探すと本文が&lt;a href=&quot;http://www.jccc21.com/JcccFiles/3-news.html&quot;&gt;ここ&lt;/a&gt;にあったので、転載する。&lt;/p&gt;&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;&lt;span size=&quot;+1&quot; style=&quot;color: black;&quot;&gt;民主党幹事長　小沢一郎殿&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
						&lt;br /&gt;
						　貴職は11月10日「全日本仏教会」松長会長との会談後「キリスト教文明は非常に排他的で、独善的な宗教だと思っている。排他的なキリスト教を背景にした文明は欧米社会の行き詰っている姿そのものだ」と記者団に語ったと報道されています。&lt;br /&gt;
						　この貴職の発言は、キリスト教に対する一面的理解に基づく、それこそ「排他的」で「独善的」な発言であり、日本の責任政党幹事長が世界人口の約３分の１のキリスト者がいる国際社会に向けて発言した言葉として、その見識を深く疑わざるを得ません。&lt;br /&gt;
						　「汝の隣人を愛せよ」と説き、生命を捧げてすべての人とのために仕え切ったイエス・キリストを救い主と信じるキリスト教は民族・国境・思想等のあらゆる差異をこえて平和の実現のため努力しています。&lt;br /&gt;
						　本連合会も教派教団を越えて一つなる歩みを重ね、日本宗教連盟傘下にあって「全日本仏教会」とも協力して広く差別偏見からくる排他性と戦っています。&lt;br /&gt;
						　そうした働きを否定し、キリスト教を排他的と決め付ける言葉に抗議し、撤回を強く要求します。&lt;/p&gt;
					&lt;p&gt;　2009年11月11日&lt;/p&gt;
					&lt;p&gt;　　　日本キリスト教連合会　　　　&lt;br /&gt;
						　　　　委員長　山北宣久　&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;&lt;p&gt;山北宣久様、あなたはあなたの隣人を、本当に愛しているのでしょうか。そして、イエスがその命を捧げて、人類を救おうとなさったからといって、それを信じる人すべてが、同様というわけでないのですが、その点、何か、錯覚をなさっていませんか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;あまり大きな騒ぎになっていないのは、幸いだが、このようなことを「恥の上塗り」というのだろう。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>キリスト教</dc:subject>
<dc:subject>日本キリスト教団(日本基督教団)</dc:subject>
<dc:subject>経済・政治・国際</dc:subject>

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<item rdf:about="http://onecolor.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-e70a.html">
<title>学会参加、雑感</title>
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<description>２１日、２２日と国際基督教大学で「キリスト教史学会」があった。この学会は、こじんまりとしていて、実にアットホームな雰囲気である(実際には、内部で、ときどき、いろいろなことが起こったりもするが………)。...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;２１日、２２日と国際基督教大学で「キリスト教史学会」があった。この学会は、こじんまりとしていて、実にアットホームな雰囲気である(実際には、内部で、ときどき、いろいろなことが起こったりもするが………)。毎年同窓会のような雰囲気で、皆に会うことだけでも、とても楽しみな学会だ。わたしと同年代の研究者たちは分野が相当違うものの、互いに切磋琢磨しながら、年を重ねてきている。みな、それぞれに、とてもいい年の重ね方をしている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;しかし、危機は確実に近づいている。今回、24名の個人発表があったが、そのうち院生は、なんとたったの１名。ICUの隣の某神学校や関西のふたつの神学校からは、参加すらなかったのではないだろうか。わたしは、わたしで、自分のことをまだ若手だと思っているのだが、ほんとうの若手のはつらつとした発表がなくなってしまった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;８月の日本基督教学会では神学校からもたくさんの参加があり、院生の発表者もたくさんいた。しかし、あそこはあそこで、別の深刻な問題をかかえているように思う。詳しくは、別の機会の論じたいが、両学会とも存亡の危機は、突然、急にやってくるだろう。それを、ずっと未来のことではなくて。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>キリスト教史</dc:subject>
<dc:subject>学会・研究会</dc:subject>

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<item rdf:about="http://onecolor.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-eb14.html">
<title>キリスト教(特にプロテスタント)の排他性〜寛容で協調的なキリスト教は存在するか〜</title>
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<description>民主党の小沢一郎幹事長が、先日の仏教関係者との会談で、「キリスト教は排他的」と述べたとのことである。実際には、キリスト教だけではなく、イスラム教も排他的であると述べたという。この件に関して、記事の最後...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;民主党の小沢一郎幹事長が、先日の仏教関係者との会談で、「&lt;a href=&quot;http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091110-00001243-yom-pol&quot;&gt;キリスト教は排他的&lt;/a&gt;」と述べたとのことである。実際には、キリスト教だけではなく、イスラム教も排他的であると述べたという。この件に関して、記事の最後は「キリスト教やイスラム教に対する強い批判は、今後、波紋を広げる可能性もある」とあるが、この記事を読んで、反発するキリスト教関係者もいるだろうが、内心その通りだと思っている関係者もいると思う。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;実は、わたしも、キリスト教はだいぶん排他的な宗教で、その排他性を売り物にしてこれまで日本で伝道してきているのではないかと思う。先の小沢氏の発言は無論キリスト教やイスラム教の内実を知った上での発言ではなく、仏教の寛容性を強調したものだろう。その仏教は寛容かといえば、それはすべてそうとは言えないが、頷ける側面もある。だから、少なくともキリスト教は世間様から排他的と見られているということを、キリスト教関係者は肝に銘じるべきであろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;さて、そのキリスト教の排他性であるが、それは、「外部」に対する排他性だけではない。キリスト教、特にプロテスタントでは、他教派や教派内の対立するものどうしは相当対立しており、互いに排他的でもある。その排他性が、宗教としての伝道活力にもつながってるのだろうが、しかし、この問題は相当深刻でもある。その対立や排他性に関するいくつかの例をあげて、それでも、協調的で寛容なキリスト教のあり方を模索したい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;まず、「プロテスタント日本伝道150周年」をめぐる問題である。わたしの理解では、「日本」のプロテスタント伝道は、欧米の宣教師たちが、ベッテルハイム等による琉球伝道を足がかりに、今から150年前に横浜・長崎に上陸したことするという、琉球伝道と日本本土伝道が連結された“一連”の出来事により開始されたと思われる。そして、日本でのプロテスタントの本格的伝道はそれから数十年を待たなければならなかった、ともいえる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;しかし、プロテスタントの内部にはこうした琉球におけるベッテルハイムの伝道を認識しつつも、頑なに横浜伝道150周年が「日本伝道150周年」であると主張しつづける人びとがいる。この件については、&lt;a href=&quot;http://onecolor.cocolog-nifty.com/blog/2009/06/post-afbd.html&quot;&gt;以前&lt;/a&gt;にも批判的に述べた。重ねていうが、わたしはこの人たちの排他性が気になってしかたがない。彼らの排他性の刃は、明らかにキリスト教、プロテスタント、そして、日本キリスト教団の内部に向かっている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そして、最近になって、ベッテルハイムが離琉したあと、ベッテルハイムが沖縄社会でどのように表象されてきたかを調べている。実際には、文献史料は乏しいわけだが、それでも、戦前から少なくとも以下の５回にわたってベッテルハイムに関する記念行事が開催されている。&lt;/p&gt;

&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot; style=&quot;margin-left: 42.55pt; text-indent: -42.55pt;&quot;&gt;&lt;span style=&quot;font-family: &amp;quot;ＭＳ 明朝&amp;quot;;&quot;&gt;　　(1)　&lt;span lang=&quot;EN-US&quot;&gt;1926&lt;/span&gt;年&lt;span lang=&quot;EN-US&quot;&gt;5&lt;/span&gt;月：「博士ベッテルハイム渡来満八拾年記念伝道講演会」「博士ベッテルハイム渡来満八拾年記念礼拝」&lt;span lang=&quot;EN-US&quot;&gt;(5/2)&lt;/span&gt;「ベッテルハイム渡来八十年記念運動」&lt;span lang=&quot;EN-US&quot;&gt;(5/18-20)&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot; style=&quot;margin-left: 42.55pt; text-indent: -42.55pt;&quot;&gt;&lt;span style=&quot;font-family: &amp;quot;ＭＳ 明朝&amp;quot;;&quot;&gt;　　(2)　&lt;span lang=&quot;EN-US&quot;&gt;1937&lt;/span&gt;年&lt;span lang=&quot;EN-US&quot;&gt;5&lt;/span&gt;月：「ベッテルハイム来島&lt;span lang=&quot;EN-US&quot;&gt;90&lt;/span&gt;周年記念式典」と関連行事。ベッテルハイ&lt;/span&gt;


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&lt;span style=&quot;font-family: &amp;quot;ＭＳ 明朝&amp;quot;;&quot;&gt;&lt;span lang=&quot;EN-US&quot;&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;


&lt;span style=&quot;font-family: &amp;quot;ＭＳ 明朝&amp;quot;;&quot;&gt;ムの孫・ベス・プラット夫人来沖。&lt;span lang=&quot;EN-US&quot;&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot; style=&quot;margin-left: 42.55pt; text-indent: -42.55pt;&quot;&gt;&lt;span style=&quot;font-family: &amp;quot;ＭＳ 明朝&amp;quot;;&quot;&gt;　　(3)　&lt;span lang=&quot;EN-US&quot;&gt;1954&lt;/span&gt;年&lt;span lang=&quot;EN-US&quot;&gt;9&lt;/span&gt;月：「ベッテルハイム百年祭行事」：&lt;span lang=&quot;EN-US&quot;&gt;1)&lt;/span&gt;頌徳碑修復&lt;span lang=&quot;EN-US&quot;&gt;(&lt;/span&gt;琉球政府文教局&lt;span lang=&quot;EN-US&quot;&gt;)&lt;/span&gt;、&lt;span lang=&quot;EN-US&quot;&gt;2)&lt;/span&gt;ベッテルハイムに関するパンフレット出版、&lt;span lang=&quot;EN-US&quot;&gt;3)&lt;/span&gt;頌徳記念碑除幕式&lt;span lang=&quot;EN-US&quot;&gt;(9/1)&lt;/span&gt;、&lt;span lang=&quot;EN-US&quot;&gt;4)&lt;/span&gt;「ベッテルハイム百年記念式典並講演会」&lt;span lang=&quot;EN-US&quot;&gt;(9/1)&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot; style=&quot;margin-left: 42.55pt; text-indent: -42.55pt;&quot;&gt;&lt;span style=&quot;font-family: &amp;quot;ＭＳ 明朝&amp;quot;;&quot;&gt;&amp;nbsp;&lt;/span&gt;&lt;span style=&quot;font-family: &amp;quot;ＭＳ 明朝&amp;quot;;&quot;&gt;(4)&lt;/span&gt;&lt;span style=&quot;font-family: &amp;quot;ＭＳ 明朝&amp;quot;;&quot;&gt;　&lt;span lang=&quot;EN-US&quot;&gt;1966&lt;/span&gt;年&lt;span lang=&quot;EN-US&quot;&gt;5&lt;/span&gt;月：「ベッテルハイム師沖縄上陸百二十年記念式」&lt;span lang=&quot;EN-US&quot;&gt;(5/3)&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot; style=&quot;margin-left: 42.55pt; text-indent: -42.55pt;&quot;&gt;&lt;span style=&quot;font-family: &amp;quot;ＭＳ 明朝&amp;quot;;&quot;&gt;&amp;nbsp;&lt;/span&gt;&lt;span style=&quot;font-family: &amp;quot;ＭＳ 明朝&amp;quot;;&quot;&gt;(5)&lt;/span&gt;&lt;span style=&quot;font-family: &amp;quot;ＭＳ 明朝&amp;quot;;&quot;&gt;　&lt;span lang=&quot;EN-US&quot;&gt;1996&lt;/span&gt;年&lt;span lang=&quot;EN-US&quot;&gt;5&lt;/span&gt;月：「ベッテルハイム来沖&lt;span lang=&quot;EN-US&quot;&gt;150&lt;/span&gt;年 &lt;/span&gt;&lt;span lang=&quot;EN-US&quot;&gt;’&lt;/span&gt;&lt;span lang=&quot;EN-US&quot; style=&quot;font-family: &amp;quot;ＭＳ 明朝&amp;quot;;&quot;&gt;96&lt;/span&gt;&lt;span style=&quot;font-family: &amp;quot;ＭＳ 明朝&amp;quot;;&quot;&gt;おきなわ 聖書展」：聖書展・ミニ講演会・特別講演会・ビデオ上映&lt;span lang=&quot;EN-US&quot;&gt;(5/8-13)&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そして、特に&lt;span style=&quot;font-family: &amp;quot;ＭＳ 明朝&amp;quot;;&quot;&gt;(1)&lt;/span&gt;〜&lt;span style=&quot;font-family: &amp;quot;ＭＳ 明朝&amp;quot;;&quot;&gt;(3)&lt;/span&gt;では沖縄の政界や医師会などを中心にキリスト教徒ではない市民が多数参加している。(2)では、護国寺の名幸芳章住職外２名の仏教関係者の名前も見える。本土復帰後開催された(5)では、本土やカトリック関係から招いた講演者による連続講演会が、教会施設ではなく、複合商業施設で市民に公開された。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;こうした、公開性や開放性、エキュメニカルを越えた、宗教の枠を越えたつながりは、「閉鎖的」の対極にあるのではないか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;


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&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;font-family: &amp;quot;ＭＳ 明朝&amp;quot;;&quot;&gt;&lt;span lang=&quot;EN-US&quot;&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;


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<dc:subject>キリスト教</dc:subject>
<dc:subject>キリスト教史</dc:subject>
<dc:subject>日本キリスト教団(日本基督教団)</dc:subject>
<dc:subject>沖縄</dc:subject>

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<dc:date>2009-11-18T08:55:00+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://onecolor.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-e8e6.html">
<title>痛みについて〜眠れぬ夜に〜</title>
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<description>先週金曜日の夜から体のある部分がとても痛み、その夜から二晩ほど眠られぬ夜を過ごした。その眠られぬ夜が、如何に長かったことか。しかし、傷や病の多くは、時間が経てばやがて癒される。わたしの傷も、次第に癒え...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;先週金曜日の夜から体のある部分がとても痛み、その夜から二晩ほど眠られぬ夜を過ごした。その眠られぬ夜が、如何に長かったことか。しかし、傷や病の多くは、時間が経てばやがて癒される。わたしの傷も、次第に癒えている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;さて、眠れぬ夜に考えるのは、複雑なことではない。痛みの中で、複雑なことは、とうてい考えられない。「どのような体制で眠れば、いま、この痛みがやわらぐのだろうか」、だとか、「難でこんなことになってしまったのだろう」と解決のつかない堂々めぐりを、延々と続けることになってしまった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そして、いま、ふと思うことがある。やがては癒える傷の痛みですら、このように辛いのだが、簡単に癒せない心の痛みや傷はどうであろうか。わたしにも心の傷がひとつ、ふたつある。そして、その傷はは、わたしが生きている限り決して癒されることはないことはわかっている。しかし、わたしが、それに堪えられるのは、実は、諦観なのである。わたしはわたしの心に刺さった棘による痛みの原因を、明確に知っている。そして、それは、私自身の力ではどうすることも出来ないと、諦めている。その諦観が、わたしの痛みを鈍らせている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;決して忘れることはなく、絶えず心の中心に、また、片隅に漂いながら、澱のよう沈殿している実感のあるその苦しみだが、それは、信仰や苦闘ではなく、逃避と諦観で救われてきた。ただ、いまもって怒りや無念を伴いながら諦めきれない心の苦しみを抱いている、ひとびとの心は、いったい救われるのだろうか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;自らの身体の耐え難い痛みを引き替えに、そのような心の闇や傷をかかえている人たちにことを、ふと思ったのである。&lt;/p&gt;</content:encoded>



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<dc:date>2009-11-03T12:21:00+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://onecolor.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-37f8.html">
<title>「沖縄」の決断か。国民の決断か。はたまた、政府の決断か。〜再び霧のなかの普天間・辺野古〜</title>
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<description>────普天間基地の辺野古沖移設か、県外移設か、嘉手納統合か。 この問題を、鳩山由紀夫首相は次期県知事選や名護市長選で示された「沖縄」の民意にしたがうと一時期いっていたという。選挙で示された「民意」を...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;────普天間基地の辺野古沖移設か、県外移設か、嘉手納統合か。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;この問題を、鳩山由紀夫首相は次期県知事選や名護市長選で示された「沖縄」の民意にしたがうと一時期いっていたという。選挙で示された「民意」をみて態度を決めるというのは、単に民主主義の偽装に過ぎない。そもそも沖縄の米軍基地は「沖縄」の問題ではないのだ。それは、国家の問題であり、国民の問題でもある。それを、なにゆえに、沖縄県民や名護市民に判断するように強要するのだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;米軍基地が決して日本国民を守るためのものではないことは明白だが、百歩譲ってそのような日米両政府の主張にしたがうにしても、それならなさら、普天間基地周辺の危険性も、守ってもらっている日本国民の問題なのだ。だから、自分が住んでいる地域に積極的に米軍基地を受けいれる意思がないのなら、せめて国民ひとりひとりの判断で、普天間基地の県外移設を足がかりに、沖縄の米軍および日本軍(自衛隊)基地の撤去を目ざして、発言し、日本政府(民主党・国民新党・社民党連立政権)に圧力をかけよう。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>沖縄</dc:subject>
<dc:subject>経済・政治・国際</dc:subject>
<dc:subject>軍隊・基地</dc:subject>

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<dc:date>2009-10-24T17:44:04+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://onecolor.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-7a1b.html">
<title>近況</title>
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<description>忙しい、い………。</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;font-size: 1.4em;&quot;&gt;&lt;strong&gt;忙しい、い………。&lt;/strong&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;</content:encoded>



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<dc:date>2009-10-24T00:38:57+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://onecolor.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-22b7.html">
<title>夢の「広島オリンピック」</title>
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<description>息子の秋休みを利用してわたしが学生時代を過ごした広島を訪れた。宮島にも行ったし、子どもの要望で「広島市立まんが図書館」にも行ったが、メインの行事は平和公園と広島平和記念資料館(原爆資料館)の見学だった...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;息子の秋休みを利用してわたしが学生時代を過ごした広島を訪れた。宮島にも行ったし、子どもの要望で「&lt;a href=&quot;http://www.library.city.hiroshima.jp/guide/library/manga/index.html&quot;&gt;広島市立まんが図書館&lt;/a&gt;」にも行ったが、メインの行事は平和公園と&lt;a href=&quot;http://www.pcf.city.hiroshima.jp/&quot;&gt;広島平和記念資料館&lt;/a&gt;(原爆資料館)の見学だった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;午後、３時間ほどかけてじっくり展示を見た。その前に、市内を電車や徒歩でいろいろまわり、子どもには事前にレクチャーをしておいた。まんが図書館(比治山)の帰りに陸軍墓地や旧放射能影響研究所なども回った。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;資料館の見学者の大半は外国人で、欧米系の人がことのほか多かった。これは以外だった。わたしの学生時代には本館のみの展示であったが、東館では原爆投下に至る歴史的過程が多角的に展示されていた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;その広島では、例のオリンピック立候補のことがローカルニュースで報じられていた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;いま、「ヒロシマ」や“Hiroshima”と表記される広島は、まったく異なる二つの力のはざまにある。ひとつは、ことしの８・６に行われ田母神俊雄氏による講演会に見られる、日本の核武装を促進しようとする力。そして、いまひとつはバラク・オバマ米国大統領が表明した核廃絶に共鳴する力である。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;夢の「広島オリンピック」は、前者に類する圧力に効果的に対抗し(しかし、それは広島の焦燥感の現れでもある)、後者の流れを利用する意図があるのではないかと思う。もし、広島でオリンピックが開かれなくても、広島市・秋葉市長の主張には、一定の政治的効果があると思われる。&lt;/p&gt;</content:encoded>



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<dc:date>2009-10-18T18:02:00+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://onecolor.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/httpmixijpview_.html">
<title>「未成熟」と希望～政権交代、空気が変わった～</title>
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<description>このところ、あることをきっかけに「成熟」という概念を考えている。「成熟」や良くて、「未成熟」は悪い。あるいは、「成熟」は「未成熟」よりも良い。これは、いささか短絡的に思えてきたところであった。 そんな...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;このところ、あることをきっかけに「成熟」という概念を考えている。「成熟」や良くて、「未成熟」は悪い。あるいは、「成熟」は「未成熟」よりも良い。これは、いささか短絡的に思えてきたところであった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そんな想いを抱えながら、きょう、午後からの首班指名選挙と各大臣の呼び込み、写真撮影、それから、各大臣の会見を途中まで、見ると話に見ていた。「成熟」の度合いでいうと、自民党は民主党よりも「成熟」している。もちろん、民主党のなかにも「成熟」している者と「未成熟」の者とが同居しているが。それにしても、新総理大臣以下、新任の大臣たちの硬く強ばった、しかし、引き締まった面持ちを見ていると、「ウブ」ということばが不意に浮かんできた。今回の内閣は前の内閣に比べて平均年齢が高いそうだが、そのような年齢を重ねてきたという意味ので「成熟」した表情は、全く感じられなかった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そして、「小沢チルドレン」ととかく揶揄されがちの１００名を優に超える新人議員たちの表情にも、ある種の緊張感が所々に感じられた。ある九州地方選出の少女のような感じもする議員が、期待と不安とどちらが大きいかということを記者に聞かれた、次のような趣旨のことを答えていた。「不安よりも、期待の重さを感じています。その期待(国民の期待ということか)に応えられないと、期待はすぐに失望に変わりますから。だから、がんばらないとと思っています」。彼女の答えは、実は記者の意図とはかみ合っていない。その記者は、ごくありきたりのことを聴こうとしたのだと思う。それを知ってか知らずか、彼女は率直に、そして、簡潔に不安と期待が入り交じった感情を表現したのだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;わたしは、新しい政権に対して多くを期待してはないし、希有の政権交代を経たこの国の行く末を楽観してもいない。しかし、この日、わたしが目撃したのは、過去の重みやしがらみでもなく、いいわけでもなく、空疎な方向でもなく、ただただ希望を語る他はない、それしか持ち合わせていない「未成熟」な人々の、何かしらすがすがしい姿であった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「未成熟」な者が「成熟」する前に抱く、危うさやつたなさがと同居した、希望。それが、少しでもこの社会の空気を変えていくだろうという予感。それが、感じられた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;</content:encoded>



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<dc:date>2009-09-16T23:34:00+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://onecolor.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/post-dd28.html">
<title>学会出席の意義</title>
<link>http://onecolor.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/post-dd28.html</link>
<description>学会への出席の意義や意味は、どうやら、年代によって変化するようです。 院生の時には、日頃接することのない「先生」の研究発表を聴いたり、自分の発表に対してコメントを頂いたりすることに大きな意味があり、発...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;学会への出席の意義や意味は、どうやら、年代によって変化するようです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;院生の時には、日頃接することのない「先生」の研究発表を聴いたり、自分の発表に対してコメントを頂いたりすることに大きな意味があり、発見もありました。学会は大きな教育機関のようなものです。自分が何かに縛られていなければ、とても自由に学べるところです。わたしは、どこに行ってもはぐれているような、一匹の羊のようなものですから、学閥や特定のディシプリンに囚われず、割りと自由に学ぶことができました。そこで出会って、ご意見を頂いた方々を、わたしはこころのなかで勝手に「先生」だと思っていました。今でも。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;それから、院生同士の仲間作りも重要です。わたしは人見知りで、人付き合いが上手な方ではないのですが、自分なりに一生懸命研究して、その成果を発表すると、先ほどの「先生」ばかりではなく、同じ院生から声をかけられて、その後連絡を取るようにもなりました。これも、学問的なシガラミのないわたしだったので、いくにんかの大切な「仲間」ができました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;しかし、職を得て参加する学会は、違う意味を持ち始めています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;まず、先述の「先生」と「学生」との関係ですが、いまでは自分が勝手に「先生」の視点で院生の発表を見守っています。求められなければ余計なことはいいません。でも、見ず知らずの院生の発表をハラハラしながら見たり、イライラしたり、感心しながら拝見しています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そして、「仲間」との関係ですが、最近は既に「先生」になっている人との出会いもあります。長く研究を続けて、ある分野に強い関心を持ち続けていると、学会の場にいるたいていの研究者同士は直接的間接的になんらかの関係があるものです。つまり、お互いの知り合いをたどっていけばどこかで共通の知人に出会います。これは、研究者のセカイが狭いのではなく、広いからだと思うのです。わたしの「志」は世界につながっています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;さて、今回の学会でも何人かの研究者に新たに出会うことができました。その方々も含めた「仲間」たちと話しあったことはいろいろあります。もちろん、自分や相手の研究のこともお互いに話しました。これは研究者同士の自己紹介のようなものです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;それから、お互いの大学のことについてもたくさん話しました。その中心は、講義や学生への接し方です。研究者は、職場では教育者もあるわけです。大学の教員は教員免許をもっていません。教育実習とかもありません。誰しも、いきなり院生の身分から何の事前教育もなく学生たちの「先生」になるのです。だから、悩みも尽きません。その悩みや問題、そして、時には愚痴を、ランチタイムや夕方の懇親会、そして、二次会の席で延々と話をするのです。自分の体験談を話し、あるいは、相手の課題にいろいろな角度からアドバイスをしていきます。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;学会に出席する一義的な意味は、自分の研究を研究者や院生を前に発表し、自分の実力を試すことです。しかし、学会に遅刻し、自分の発表をして、そのまま早退するだけでは、学会に出席することの価値が、半減してしまうと思うのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そんなこんなで、勤務先での悩みや愚痴は、具体的には公開できませんが、その意味でも、とてもみのりの多い学会です。&lt;/p&gt;</content:encoded>



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<dc:date>2009-08-29T23:03:00+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://onecolor.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/post-9532.html">
<title>市民に愛されるキリスト教</title>
<link>http://onecolor.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/post-9532.html</link>
<description>キリスト教は“愛”を説く宗教です。そのココロは、あなたは神様に愛されているのだから、貴方も「隣人」を愛しなさい。しかし、キリスト教やキリスト教徒が「隣人」から愛されることなど想定していない。 しかし、...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;キリスト教は“愛”を説く宗教です。そのココロは、あなたは神様に愛されているのだから、貴方も「隣人」を愛しなさい。しかし、キリスト教やキリスト教徒が「隣人」から愛されることなど想定していない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;しかし、きょう、ベッテルハイムに関する戦前の顕彰行事の史料として新たに発見されたものを見ていると、「ベッテルハイムは市民に愛された」と言うことがよく分かった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ヘボンやフルベッキは教科書には出て来るけれど、市民(勿論その頃には「市民」という者はいなかったのだけれど)愛されたのだろうか。そして、その業績だけではなく、人間性やエピソードが市民の間や地域社会に語りつがれているだろうか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;キリスト教の伝道とは、キリストの言動とそれを伝えようとする人間の言動が、人びとの心のそこからの共感を呼び、忘れがたい感慨をその人の心に残すことであろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;だから、ヘボンやフルベッキは、そういう意味での伝道をしていない。きょう、それが、わかった。&lt;/p&gt;</content:encoded>



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<dc:date>2009-08-20T23:15:00+09:00</dc:date>
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