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<title>沖縄フィールドワーク〜軍事占領・キリスト教史・地域文化研究〜</title>
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<description>わたしの主たる研究テーマである沖縄戦後キリスト教史の研究成果や、フィールドワーク(文献調査・聞き取り調査)の方法等についてのブログです。</description>
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<title>沖縄、狙い撃ち</title>
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<description>そのお粗末な内容に、わたしは半ばあきれてしまった。だから、買ってまで、また、借りてまで読む価値がないと思うので、敢えて誌名を書かないでおくが、ある月刊誌の８月号に、沖縄戦の「集団自決」に関する、まった...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;そのお粗末な内容に、わたしは半ばあきれてしまった。だから、買ってまで、また、借りてまで読む価値がないと思うので、敢えて誌名を書かないでおくが、ある月刊誌の８月号に、沖縄戦の「集団自決」に関する、まったくひどい特集が組まれている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;なにがひどいかという、まず、数人の執筆者が同じ雑誌にいくつもの記事を書いている。これは、物書きとしてのモラルの問題であろうし、この問題に関して「軍名がなかった」と強硬に主張する人材の払底を露呈している。加えて、かつての別の号や雑誌等での記事の重複だけではなく、同一誌のなかに同じ内容がくり返されている。よっぽど、「攻撃材料」に困っているのだろう。そりゃそうだ。もともと、無理な立論なのだから。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;それでも、いくつか「目新しい」内容がないわけでもないが、それがかえって執筆陣の焦りを著していると思われる。そのなかには、すでに言いがかりとしか思えないお粗末な記事もある。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そのひとつは「S日報(T協会(教会)の下部組織が発行している新聞)編集委員」のKM氏の記事である。K氏はこれまでも著書や数々の証言で自ら肉親を手にかけてきたことを告白し、「集団自決」において日本軍の軍命があったと明言されてこられた金城重明氏ことをを殺人者であり、嘘つきであると断じている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;その手法は、背景をよく知らない者に説得力があると思わせるような、巧妙な詐術が含まれている。K氏の手法は、金城氏の数々の証言や文章について、文献のみを詳細に検討し(重箱の隅をつつき)、自らの論に都合のいいところだけを全体の文脈から切り離して井雲のであり、それらのK氏がいうところの「事実」と「事実」の間を悪意にみちた推論や邪推でつないでいくというものである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;それから、この記事を読むかぎり、K氏は金城氏に一度も直接取材をした形跡がない。取材そのものをしていないのか、直接話しをきいたけれどもその内容が載せられなかったのか、また、法廷等でその証言を直接聞いたのは判然としないが、ともかく、自分が徹底的に批判しようとする人物に対して、可能であるのに直接取材をしていない(または、そのさいの出来事を公表しない)ことは、ジャーナリストとして杜撰ではなかろうか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;以上、詳細に検討することも時間の無駄と思われるような代物であるが、しかし、このままなにも表明しないでおくと、この世界(ネットの世界)でもそれが「事実」として定着されかねないので、一言、書いておく。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;人間、取り返しのつかないことをしてしまったときにでも、その後も人生を生きていかなければならない。改心したと言っても、許してくれないひともいるだろう。また、神様は、はっきりと許したという意思表示をされるものでもない。「贖罪」ということばは、とても重い。金城重明氏にはこの件とは別の件で何度か一対一でじっくりお話しを聞いたことがある。氏は、その時も、そして、今でも贖罪の日々を生きてこられている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そのような人物に正対せず、背後から脳天を打ち抜こうとする輩がこの世にはいる。そして、その輩は、ひとの志を踏みにじることで、いったいなにを守ろうとしているのだろうか。&lt;/p&gt;</content:encoded>



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<item rdf:about="http://onecolor.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/post_df5b.html">
<title>今度は………</title>
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<description>「離島と病人とスパナ」だと。しつこい。 離島で急病人が出たときに、自衛隊が活躍する。しかし、本当に離島の急病人を救いたいと考えているのなら、離島に総合病院をつくり、複数の医師を配置する。それを維持する...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;「離島と病人とスパナ」だと。しつこい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;離島で急病人が出たときに、自衛隊が活躍する。しかし、本当に離島の急病人を救いたいと考えているのなら、離島に総合病院をつくり、複数の医師を配置する。それを維持するコストと、自衛隊を維持し、ときどき離島の急病人を救うコストは、その安心感も加えて考えル必要があるだろう。やはり、事実を限定的に提示して、隠蔽をすることで、錯誤を狙っているのだろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;それに、「平和を、仕事にする」も目障りである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;自衛隊の隊員のなかには、「自分たちは、平和を、仕事にする」信じているひともいるだろう。その善意は否定しない。しかし、現実には、自衛隊員個々人では、それぞれがイメージしている平和を守れない現実がある。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;それから、平和を、「守る」ではなく、「仕事にする」だから。「守る」もあれば、「壊す」も、可能性としてはあるのだ。しかし、「守る」と誤解する恐れもある。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;また、日本や日本の同盟国のである米国の「平和を、仕事にする」ことで、それ以外の国の「平和」を侵害することもあるだろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;さて、この広告は、これらの可能性を考えさせる思考を巧みに奪っていく。そう。立ち止まって考えてみよう。想像力が、わたしたちの武器だ。&lt;/p&gt;</content:encoded>



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<dc:date>2008-07-19T08:52:21+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://onecolor.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/post_eaa2.html">
<title>おたまは、おたまだけで、赤道を越えていくのか。</title>
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<description>最近体の調子が今ひとつ。ひとつは、足が故障がち。もうひとつは、左目の下が頻繁にピクピク痙攣して、痛いというわけではないけれど、とにかく鬱陶しいかぎりです。 さて、そんなこんなで、ちょっとブルーな通勤電...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;最近体の調子が今ひとつ。ひとつは、足が故障がち。もうひとつは、左目の下が頻繁にピクピク痙攣して、痛いというわけではないけれど、とにかく鬱陶しいかぎりです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;さて、そんなこんなで、ちょっとブルーな通勤電車で、もっと不快になるような広告を見つけた。タイトルは&lt;/p&gt;&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;「再び、赤道をこえるおたま」&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;&lt;p&gt;ちょっと見ると料理に使う「おたま」がまな板の上に置かれている写真。何の広告なんだろうと目をこらすと、自衛隊の隊員募集の公告であった。細かな文字でいろいろ書いているが、ここでそんな者紹介する義理もないし、やめとくが、とにかく、姑息な広告である。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;おたまが、おたまだけで、赤道を越えるなんてことはありえない。そう、赤道を越えていくものの問題性、それが赤道を越えることがどんなに問題であるかということを、一切捨象し、隠蔽しているかのように思える広告。きっとどこかの広告代理店の民間人が考えたのだろうが、そんなことが真理とおるご時世になったことに、冗談ではなく、戦慄を覚える。金さえもらえば、何でもやるのか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;カレーづくりや物資の輸送だけは、赤道を越えていく自衛隊の使命や目的ではない。それを、前面に出して人集めをしている。それにひかれて自衛隊に入隊したら、結果的に破壊や人殺しの訓練をさせられる。これは、詐欺的手法ではないのだろうか。または、偽装広告か。&lt;/p&gt;</content:encoded>



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<title>沖縄の「戦後」〜６・２３を考える。〜</title>
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<description>きょうは、沖縄戦の慰霊の日。慰霊したり、供養したりするためには、日を決めて、年にいっぺん………。ということなのだろうが、この日に沖縄の戦闘は終わっていない。そして、この２か月余り前に戦争が終わっていた...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;きょうは、沖縄戦の慰霊の日。慰霊したり、供養したりするためには、日を決めて、年にいっぺん………。ということなのだろうが、この日に沖縄の戦闘は終わっていない。そして、この２か月余り前に戦争が終わっていたひともいる。

&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;最近、調べている仲里朝章(沖縄キリスト教会理事長、沖縄キリスト教学院初代学長などを歴任)という人物は、この日の４日前、「三和村喜屋武」(石川政秀編『仲里朝章遺稿集・伝記』(仲里朝章顕彰会　1974年)所収の年譜の通り。「三和村」は戦後誕生し、現在は糸満市。かむじゃたん氏のコメント参照のこと)で米軍の捕虜になり、北部の捕虜収容所(宜野座)に送られた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;これで、彼と彼の家族は戦場から離脱したわけだが、当時校長を務めていた那覇市立商業学校の生徒を多数戦場に送り、娘の光子さんはひめゆり学徒隊として家族と離れ、落命した(光子さんはその後靖国神社に合祀されていることがわかり、御遺族の仲里朝治氏(朝章の息子さん)は訴訟を起こされている。このことは、&lt;a href=&quot;http://noyasukuni.ld.infoseek.co.jp/nakazato.html&quot;&gt;ここ&lt;/a&gt;にご自身が記されている)。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;だから、だからそれで戦争が終わったというわけではない。

さて、朝章は、宜野座地区惣慶の収容所に滞在中チャプレンの誘いで伝道集会をはじめる。つまり、南部では激戦が続いているなかで、北部ではすでに「戦後」がはじまっており、そこでは礼拝や受洗式などが日常的に行われていたのだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;朝章は、惣慶で収容されていた男女学生をあつめて戦後初めての共学中等教育機関である惣慶中等学院(後の宜野座高校。同校の校歌は朝章の作詞)を設立し、教育に携わる一方で、周辺に精力的に伝道活動を行ったという。

&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;この件は、また、詳しく書こう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;いずれにしろ、片方では激戦が続いているなかで、他方では収容所に入れられ自由は奪われているが、衣食住が与えられ、礼拝が開かれているというような状態。いくつもの異なった局面が同時に進行しつつあったのが、沖縄戦の特徴である。

したがって、この６月２３日は、そのような特徴を覆って、慰霊と供養のために区切りをつけるのである。&lt;/p&gt;</content:encoded>



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<dc:date>2008-06-23T23:43:12+09:00</dc:date>
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<title>あなたは、けっして、ひとりではない</title>
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<description>この土曜日(6月14日)に南山大学で学会発表をしました。「宗教と社会」学会というちょっと変わった名前の学会です。この時期には、割りといろいろな事柄が重なり(実はその翌日の6月15日は私の誕生日)、ここ...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;この土曜日(6月14日)に南山大学で学会発表をしました。「宗教と社会」学会というちょっと変わった名前の学会です。この時期には、割りといろいろな事柄が重なり(実はその翌日の6月15日は私の誕生日)、ここ数年、出席できなかった学会です。だから、いろいろお世話になった方々に、わたしのずいぶん不義理をしてしまっていたのです。それで、何となく顔を出しづらかったのも事実です。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;研究発表自体は、思ったより、ずいぶんうまくいきました。なにしろ、「研究発表25」分は普通ですが、質疑応答25分」なんて、他の学会ではありえないですから。だから、どんな質問が出るか、内心ドキドキしたのですが、それも有益な議論ができたと思います。これまで、不義理を重ねてしまっていた方々から思わぬフォローをいただいたり、とってもあり難いことでした。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;この年になっても学会発表をするのは、いくつか理由があります。でも、そのとき感じたのは、「自分は一人ではない」、ということです。志ある人は、志ある人の声に耳を傾けるように、自分がしっかりとした志をもって、それを堂々と表明すれば、それに必ず、同じ思いで応えてくれるひとがいるということです。&lt;/p&gt;&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;わたしは、決してひとりではない。&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;&lt;p&gt;それが、しっかり実感できました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;しかし、残念なこともありました。それは、まだ若い院生の発表でした。確かに、よく勉強しているのですが、腑に落ちないことがたくさんありました。それは、内容にかかわる問題では、とりあえずありません。動機にかかわる部分です。&lt;/p&gt;&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;なぜ、あなたはその研究をしているのでしょうか。&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;&lt;p&gt;何度も、そう問いかけたくなりました。つまり、その若い院生＝研究者の“卵”がその研究にとりくむ切実さが、いっこうにその研究発表からは感じられなかったのです。その発表に、どこか「他人ごと」(表現は適切ではないのですが)のような雰囲気が感じられてしかたがなかったのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;本人が、切実に思い、自分の実存をかけて取り組んでいるもにに対して、わたしもその志に見あうだけの想いでそれに応えたいと思うのですが………。だから、難易か、とても時間を無駄にしたような、虚しい感じがあったのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;さて、これは、わたしが、最近のゼミで感じたことと通底しています。ゼミに来る学生に卒論の課題を決めさせることが、年々困難になってきています。つまり、一部の学生には、切実に解決したいことも、とってもこだわっていることも、大好きなことも、大嫌いなことも、とてもつらいことも、悲しいことも、嬉しいこともないようなのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;わたしは、それが信じられないし、実感として理解できないので、ずいぶんとまどっているのです。そのとまどいの感情が、実は、学会の発表でも出てきてしまっているのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;だから、そのような人たちに、云いたいことがあります。&lt;/p&gt;&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;あなたは、決してひとりではない。&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;&lt;p&gt;なんだか、自殺志願者に語りかけているようですが。また、とっても、過保護なような気もするのですが。でも、「あなたは、なぜ、そんな研究をしているのでしょうか」というきわめてシンプルな質問に、しどろもどろになりながらでもいいから、「内発的な動機」や、感情や心情、熱情や情念のレベルで誠実に答えられないこと。それは、研究者の“ハシクレ”であれば、とっても恥ずかしいことだと思ってほしいのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;</content:encoded>



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<dc:date>2008-06-16T22:47:00+09:00</dc:date>
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<title>「歴史とは、右往左往すること」</title>
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<description>もう少しだけ、土肥昭夫先生の追悼礼拝での出来事について書きます。 式中、６名の方が式中に土肥先生との思い出をお話しされました。 2004年9月に香港で開催された東アジアキリスト教史協議会でのわたしの研...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;もう少しだけ、土肥昭夫先生の追悼礼拝での出来事について書きます。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;式中、６名の方が式中に土肥先生との思い出をお話しされました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;2004年9月に香港で開催された東アジアキリスト教史協議会でのわたしの研究発表に対して唯一わたしの意図を理解した質問をしてくださった徐正敏(ソジョンミン）延世大学校神科大学教授は、「今でも、土肥先生が亡くなったことが信じられません。天国に花見に行って、帰ってこられるのではないかと思っています」と語られ、8月15日に韓国で説教をされた土肥先生が数分間涙を流しながら沈黙されたエピソードを披露され、「涙は、涙でしか通訳できなかった」と結ばれました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;また、以前同志社人文科学研究所のキリスト教社会問題研究会で研究補助者（院生のアルバイト）をしていた西岡裕芳さんは、現在日本キリスト教団月寒教会の牧師になっておられました。陳腐な言い方ですが、立派になられたと思います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そして、今回もっとも感銘を受けたのは、土肥先生のお子さんである土肥いつきさんのお話でした。話しの詳細についてはご本人が&lt;a href=&quot;http://d.hatena.ne.jp/ituki/20080531&quot;&gt;ブログ&lt;/a&gt;に書かれているので、そちらの方を参照していただく方が正確かと思いますが、印象に残っているのは土肥先生の歴史の定義と、先生が尊敬する人物が田中正造だったということ、いつきさんの小さい頃の思い出が両親に手を引かれて青空の繁華街をデモをしたことの三つでした。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;土肥先生は「歴史とは何か」をという当時高校生の土肥いつきさんにたいして、「歴史とは、右往左往することである」と応えられたそうです。右往左往するのが、歴史の登場人物なのか、それとも研究者なのかは判然としませんが(でも、おそらく前者？)、とても含蓄のあるお言葉です。土肥先生のなさったお仕事(研究)そのものは、理路整然としていて、余り右往左往している風にはないのですが。それでも、先生がそう考えられており、それが歴史を見る広い視野や柔軟な評価に繋がったのでしょう。………実際、わたし自身が自分の研究対象を巡って右往左往しているのですが、でも、確かに、草創期や自体転換期のキリスト教界は右往左往しながら歴史を形成しています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;それから、土肥先生が尊敬している田中正造にお子さんの土肥いつきさんが年を経てから出会われたこと、また、土肥いつきさんが子どもの時に両親に連れられてデモに加わったことなどをうかがうと、自分と自分子どもの関係についても考えさせられました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;土肥いつきさんを通して、土肥先生から、最期の(でもないかもしれないが)大きな贈り物をいただいた思いです。&lt;/p&gt;</content:encoded>



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<dc:date>2008-06-04T22:47:55+09:00</dc:date>
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<title>悔いのない研究生活とは</title>
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<description>土肥昭夫先生の追悼礼拝の続きです。 わたしは、同志社大学や神学部にとって部外者です。神学部のスタッフ(教員)の顔を全員知っているわけではありません。でも、恐らく、この記念礼拝には同志社大学神学部のすべ...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;土肥昭夫先生の追悼礼拝の続きです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;わたしは、同志社大学や神学部にとって部外者です。神学部のスタッフ(教員)の顔を全員知っているわけではありません。でも、恐らく、この記念礼拝には同志社大学神学部のすべてのスタッフが出席していたわけではないようです。どうやら、当初学部葬の予定であったのが、現役の教授ではなかったことから、土肥ゼミ卒業生の有志による会になったようです。ともかく、同志社人文科学研究所や学会で知った顔があり、知らない顔があり………、の会でした。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;土肥先生はそれまで手がけられておられた研究（お仕事）に一段落をつけ、次の研究に取りかかろうとした矢先に、亡くなられたということです。&lt;/p&gt;&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;先生の次の研究テーマは「戦後天皇制とキリスト教」。&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;&lt;p&gt;戦前の天皇制とキリスト教はある一定の緊張関係があったのですが、戦後はそれが一気に薄れ、キリスト教にとって皇室や天皇はとても親和性の強いものになったのではないでしょうか。これについては異論があるかもしれません。確かに、教界では部分的に戦後も天皇制と厳しく対峙し続けた人たちがいます。しかし、一般の信徒はそうではないように思うのですが、いかがでしょうか。そのテーマを、土肥先生はどうお書きになるつもりだったのでしょう。それを拝見する機会は、永久に失われたのですね。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そのエピソードを聞きながら、研究者の死と仕事ということを、自らのことに引きつけながら、考えました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;研究者にもいずれ生の終わりがきます。それが唐突なものであれ、予告されたものであれ、どんな研究者にも死は来るのです。そのときに、し残した研究テーマが全くない研究者などいないのではないでしょうか。また、あくまでも一般論としてですが、死ぬ前にし残した研究課題がないのなら、その時点で研究者ではない、とも。キリスト教的に言えば、「神は、その者が必要である限りその生を許す。だから、その者が心残りがありながらこの世を去ったということは、神がその仕事が必要ではなくなったと判断されたのだ」という方も可能でしょうか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;いずれにしろ、研究者としてつねに“その日”が来るということを意識し、自分の仕事を大きくまとめる努力をしなければと思う年齢に、わたし自身がさしかかっていることを実感しました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そして、気になったことを一つ。それは、そのし残した仕事（研究）を、「誰が継ぐのか」ということです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;土肥先生のお連れ合いである土肥淳子さんは、挨拶のなかで土肥先生が先述の「戦後天皇制とキリスト教」に関する研究をすでにはじめており、資料を集め、メモを作っていたことを挙げて、それを“継ぐ”研究者が現れることを期待しているというような趣旨のお話をされました。ご遺族としては、もっともな話だろうと思います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;また、それに先だって礼拝で説教を担当された原誠同志社大学神学部長も説教のなかで同様のことをいっておられました。原先生は、おそらく土肥先生の「歴史神学」研究室(?)の後継者。だから、これは一種の土肥先生の学問の正統なる継承者の選定の儀式でもあったのでしょうか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;しかし、この追悼礼拝には、わたしを含めて多彩な人たちが参列していました。そして、その誰もが、土肥先生の人柄と学問を慕い、愛していたのだと思います。そして、それぞれに自分なりの仕方で土肥先生の学問を部分的、あるいは、全面的に継承しているのではないでしょうか。だから、土肥先生がし残されたお仕事を直接継承する者だけではなく、だれもがそれを自分の血肉にして、自分の場から、自分の知恵で、道を切り開くことができるのではないかと思います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;わたしも、ゆくゆくは、土肥先生のように、自分の学問からはじまって、人柄・人格を付加しながら、だれかの心に届き、そこにこに留まる仕事をしたいと思いました。&lt;/p&gt;</content:encoded>



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<dc:date>2008-06-02T22:34:00+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://onecolor.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/post_3012.html">
<title>【覚書】土肥昭夫同志社大学名誉教授追悼礼拝</title>
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<description>☆いろいろ思うところがありますが、まず、感想や意見を交えず、事実だけを書きます。 2008年5月31日。わたしは、開場時間の13:30少し前に同志社大学神学館に到着した。芳名帳に記入して、ファイルをい...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;☆いろいろ思うところがありますが、まず、感想や意見を交えず、事実だけを書きます。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;2008年5月31日。わたしは、開場時間の13:30少し前に同志社大学神学館に到着した。芳名帳に記入して、ファイルをいただいた。礼拝のプログラムと御遺族による「土肥昭夫の追悼礼拝を祈念して」がファイルされていた。後者には京北教会での礼拝の説教メモ等、そして、土肥先生の直筆の村上俊・三佐保夫妻に関するメモのコピーが綴じられていた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;開始時間の14:00の5分前にはほぼ座席が埋まった。わたしは、向かって右側の一番うしろの端の席。そして、定刻良し少し前に礼拝がはじまった。&lt;/p&gt;&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;司　　　　　式：小﨑　眞氏(同志社女子大学生活科学部准教授)&lt;br /&gt;奏　　　　　楽：松原玲子氏(同志社大学キリスト教文化センターオルガニスト)&lt;br /&gt;聖書朗読・祈祷：平松譲二氏(同志社女子中学・高校教諭)&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;&lt;p&gt;式次第は以下の通り。&lt;/p&gt;&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;前　　奏&lt;br /&gt;讃 美 歌　　　74　「果てしも知られぬ」&lt;br /&gt;聖　　書　　 テモテへの手紙　Ⅱ　4章1-8節&lt;br /&gt;　　　　　　 フィリピの信徒への手紙　3章12-16節&lt;br /&gt;祈　　祷　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　原　　誠&lt;br /&gt;説　　教　　「健全な教えを聞こうとしない時に」　　　原　　誠&lt;br /&gt;祈　　祷&lt;br /&gt;讃 美 歌&amp;nbsp; &amp;nbsp;&amp;nbsp; &amp;nbsp;&amp;nbsp; 121　「まぶねのなかに」&lt;br /&gt;土肥先生を偲んで　　出村　彰　東北学院大学名誉教授(キリスト教史学会理事長)&lt;br /&gt;　　　　　　　　　　徐　正敏　延世大学神科大学校教授&lt;br /&gt;　　　　　　　　　　井田　泉　日本聖公会京都三一教会司祭&lt;br /&gt;　　　　　　　　　　西岡裕芳　日本基督教団月寒教会牧師&lt;br /&gt;頌　　栄　　544　「あまつみたみも」&lt;br /&gt;祝　　祷　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　原　　誠 &lt;br /&gt;後　　奏&lt;br /&gt;遺族挨拶　　土肥いつき&lt;br /&gt;　　　　　　土肥敦子&amp;nbsp; &amp;nbsp; &lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;&lt;p&gt;土肥先生を偲んでのことばは一人５分程度と言うことであったが、それぞれ時間を大幅に超えて土肥先生との思い出を語られた。また、お子さんとお連れ合いの挨拶も時間を超過したが、それぞれ心にの盛るものであった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;16:00頃に閉会。その後、御遺族とそれぞれ言葉を交わし、16:30頃に散会。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　以上。&lt;/p&gt;&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;</content:encoded>



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<dc:date>2008-06-01T22:12:03+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://onecolor.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_6a0c.html">
<title>〔遅報・学会発表要旨〕一九四〇年代後半の沖縄教会〜新たに発見した史料から見る〜</title>
<link>http://onecolor.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_6a0c.html</link>
<description>本発表は、二〇〇八年九月のキリスト教史学会大会で行う研究発表のための予備的な報告である。 一九四〇年代後半の沖縄キリスト教史を叙述するとき、二次文献をもとになされる傾向にある。そして、それらの叙述は史...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;本発表は、二〇〇八年九月のキリスト教史学会大会で行う研究発表のための予備的な報告である。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;一九四〇年代後半の沖縄キリスト教史を叙述するとき、二次文献をもとになされる傾向にある。そして、それらの叙述は史料批判や複数の文献による検証作業がじゅうぶんになされないまま、通説化している。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ところで、当該期の史料については一次史料で現存しているのは以下の三種類が考えられる。&lt;/p&gt;&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;①政府・行政文書(米占領軍や沖縄人民政府組織の公式文書)。&lt;br /&gt;②新聞・雑誌・パンフレット類。&lt;br /&gt;③当事者の手記、日記、メモ類。&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;&lt;p&gt;この内、報告者は②については沖縄の諸新聞と断片的ながら米軍やハワイ移民社会等で発行されている新聞も調査した。また、①についても、沖縄諮詢会・沖縄民政府等の文献、占領軍政関係文書の調査を継続中である。今回分析の対象としたのは、新たに発見した③の史料である。報告者はすでに複数の人物の手になる手記・メモ類についてアプローチをしている。また、公刊されている沖縄系米国人(主に、ハワイやロスアンジェルス在住者)や沖縄戦に従軍した米兵の手記等をいくつか発見し、なお調査を継続しながら、既発見史料の分析を行っている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;それら新史料で、いくつかの新しい事実が判明した。その一つは、沖縄戦の最中からはじまった初期占領体制におけるチャプレン(従軍牧師)の役割である。米軍の「第十軍行動報告」によると沖縄戦時に派遣されたチャプレンはハワイ等で充分な教育と訓練を受けた上で、太平洋の諸群島で経験を積んで派遣されたこと分かる。彼らは沖縄戦に参加し、一九四五年五月頃から米軍の占領地の民間人捕虜収容所で集会を開き、六月には洗礼式を行っている。沖縄キリスト教の「戦後」は、この頃すでにはじまっていたといえる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;同年八月の沖縄諮詢会発足により、沖縄教会やキリスト者と占領軍、あるいは、チャプレンとの関係も変化する。当時の沖縄人関係者の手記には、クリスチャン米兵やチャプレン、「宣教師」などとの交流が好意的に描かれており、以後の沖縄教会と米国のキリスト教との関係の原型が形成されていたことが示唆される。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;また、この時期の伝道者は沖縄諮詢会・沖縄民政府の文化部職員として準「公務員」的な待遇で伝道活動をしていたということが定説になっている。ところが、当事者の手記によると、当時の牧師・伝道師の生活は貧しく、信徒からの寄附(食料等の現物支給)の記事が頻繁にある。また、四八年頃には沖縄キリスト聯盟(以下、「聯盟」)理事会で伝道者の給与についての予算審議が確認され、聯盟理事長の秘書には俸給の支払いがなされている。このことから、上記の説は今後詳細な検討がなされなければならない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;それから、聯盟の性格や活動についても実態の解明が進んだ。まず、その創立年月日は、従来、四七年二月六日とされてきた。しかし、今回発見した史料によると四六年には聯盟の活動記録がないが、四七年になると三月二〇日に総会が開かれて以降、ほぼ一年に一度総会が開催され、二か月に一度理事会が開催されていることから、四七年一月九日結成説の信憑性が高いように思われる。また、その組織についても従来は教派・教団ではなく、伝道者の互助会的組織であるといわれているが、上記の総会・理事会の内容からして不完全ながらすでに教団としての体裁を整えていたのではないかと思わせる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;こうした定説化(神話化？)が行われてきた背景には、沖縄教会の内部に米軍の占領体制に対してスタンスや距離の取り方に違いがあり、それにより各々の歴史的評価も違うこと挙げられる。それに加えて、研究者自身に、「沖縄戦を経験し日本の教団から切り離された沖縄教会が戦争直後に独自の教会形成をできる訳がない」といったような先入観もあり、結果的に沖縄教会の独自性に対する評価が低く見積もられてきたことがなかったか。そのことについても、自戒の念を込めながら、中止していきたい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;その他、教役者会や「ＹＭＷＣＡ」等の組織についても次第にその活動の輪郭がつかめてきた。こうした「事実」をひとつひとつ検証していくと、従来、公的な文書やキリスト教内部の公式文書に記載されてきた一九四〇年代の沖縄教会の実態とは違った歴史像が浮かび上がってきた。今後、更にそれらの史料を精査し、この時期の沖縄キリスト教史の全体像の把握に努めたい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;(「キリスト教史学会　第２回関西支部会」(2008年 3月 8日、於関西学院大学梅田キャンパス)での研究発表要旨。『キリスト教史学』第62集(2008年7月)掲載予定)&lt;/p&gt;</content:encoded>



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<dc:date>2008-05-15T22:38:25+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://onecolor.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_992a.html">
<title>〔遅報・学会発表要旨〕国家、地域、教会〜沖縄キリスト教をめぐる二つの国家と地域社会〜</title>
<link>http://onecolor.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_992a.html</link>
<description>沖縄キリスト教史において「国家とキリスト教」という問題を措定すると、日本本土(以下「日本」)の他地域のそれとは異なった課題が生じる。近代以降も、沖縄は日本とは違った経験してきた。また、日米の二つの国家...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;沖縄キリスト教史において「国家とキリスト教」という問題を措定すると、日本本土(以下「日本」)の他地域のそれとは異なった課題が生じる。近代以降も、沖縄は日本とは違った経験してきた。また、日米の二つの国家に挟撃される沖縄の位置を考慮すると、そのキリスト教史を自立的に論ずるならば、国家とキリスト教、あるいは、国家と教会との間に、地域社会を中間項に設定しなければ、そこで生じた歴史的事象をとらえきれない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;それを前提に米軍占領下の沖縄キリスト教史を粗描するならば、その構成要素は、①沖縄人（地域住民、キリスト者）、②米国人（米軍人・軍属とその家族、チャプレン（従軍牧師）、米国人宣教師）、③日本人（国民、日本の教会関係者）の三者が考えられる。そして、それぞれがそれぞれの思惑で思考し、行動する過程で、国家意思がどう実行され、貫徹されていったか、その解明が課題となる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ここに沖縄における教会形成と国家の関わりを示す興味深い資料がある。『キリスト教年鑑』二〇〇七年度版によると、沖縄県の教会は三三〇余り、信徒数は約三九，〇〇〇名で、県人口の二．八二％が教会員となり、日本の他の地域に比べて三倍近くになる。さらに各地域別に教会数・信徒数・対人口信徒比を見ていくと、沖縄キリスト教のある特徴が鮮明になる。教会と信徒は人口分布通り、約九割が沖縄島に集中している。ところが、沖縄島でも米軍基地が集中している中部地区には、県都・那覇を含む南部よりも人口が少ないにもか拘わらず沖縄全体の四三．二〇％の教会が集中し、信徒の割合は三．七六％にもなる。これは全国平均の四倍弱である。さらに、中部地区の教会はペンテコステ系やいわゆる「福音派」系の教会が多いことがわかる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;これは、単なる偶然ではない。発表者の聞き取りによると、中部地区の「福音派」系諸教会のいくつかは、米軍基地に頻繁に出入りでき、基地内の信徒やチャペルで交流をもっているという。また、このような「福音派」系諸教会には積極的に平和運動を行っている教会もあるが、それでも米軍批判の言動はあまり聞こえてこない。沖縄におけるキリスト教人口と教会の偏在は、米軍の駐留との関連を想起させる。そして、そのような関係は、日米両国の圧力により歴史や政治の矛盾が沖縄地域社会に収斂した結果でもある。このように、駐留軍が、国家意思に基づき牧師や信者、教会を通して沖縄地域社会に自らの有用性や友好的姿勢を顕示するとき、沖縄の教会は自ずと二分されていく。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;本報告では、そのような沖縄教会の現状をふまえて上で、沖縄教会と国家の関わりを省察するために、チャプレン(米軍従軍牧師)と宣教師(団)の実態とその役割について考察した。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;その結果、以下のことが明らかになった。まず、一九五〇年代に本格化する米国人宣教師による沖縄伝道は沖縄占領軍や東京のＧＨＱの奨励と支援の元で実現された。そのような宣教師は、多くの場合、米軍の沖縄駐留には肯定的で、なかには沖縄の基地外で「英語教会」と称する米国人の教会をつくり、それらを背景に沖縄のキリスト教界に大きな影響力を及ぼそうとした宣教師もいた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;また、一九六〇年から七〇年にかけて、在沖米軍基地には二〇余りのチャペルがあったが、そこで牧会にあたっているチャプレンは、牧師であると同時に現役の将校でもあった。彼らは、時に、兵士たちを軍の意向にそって教導し、監視したりもした。また、チャプレンは最寄りの教会の牧師や信徒を通じて沖縄の地域情勢に関する情報を入手し、占領軍当局の意向をそれとなく地域住民に伝えるように促した形跡がみられる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;このように、沖縄在住の米国人のキリスト者、つまり、宣教師やチャプレンたちは程度の差はあれ米国の立場を擁護する役割を担っていた。そのため、沖縄の地域住民にとっては、キリスト教は米国の宗教であり、米軍の宗教であるという認識が強く、沖縄教会は地域社会で伝道する際に米国や米軍の動向に配慮せざるを得なかったのである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;米軍基地の駐留を巡りつねに分裂を余儀なくされている沖縄地域社会と、伝道する際に地域社会の亀裂を無視できない沖縄教会の「現況」は、こうした環境下で形成されているといえる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;(「キリスト教史学会第58回大会」(2005年 9月15日、於恵泉女学園大学)での研究発表要旨。『キリスト教史学』第62集(2008年7月)掲載予定)&lt;/p&gt;</content:encoded>



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<dc:date>2008-05-15T22:32:37+09:00</dc:date>
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